倫理観

ただのアイドルオタクの独り言です。

大好きな人が結婚した

 

3月はじめの、まだまだ風が冷たいけれど春らしい穏やかな青空が広がる日曜日のお昼だった

世界でいちばん大好きな人が結婚した

 

 

お布団で惰眠を貪っていたのに、ピロピロうるさいスマホからの通知で目が覚めた。休みの日に何だよと思いながら画面を見ると、そこには自分の安否を確認するLINEが鬼のように来ていて。

その中のひとつの文字列を見て、一気に覚醒した。

「シゲ、結婚した」

シゲってどのシゲ?え、結婚?シゲ、シゲって、まさかシゲアキのことか?え?は?と思いながらメールボックスを開くと、「ファンクラブ会員の皆さまへご報告」「加藤シゲアキよりファンクラブ会員の皆さまに大切なご報告がございます」というメールが来ていて、そこでおおよそのことを悟った。

 

加藤シゲアキよりファンの皆さまへご報告」と題した彼自身が綴った文章を見て、真っ先に何を思ったかと言うと、「この人のファンで本当によかった」ということだった。

結婚報告の文章でまた惚れ直すとは、まさか思いもしなかった。

「やっぱりこの人のこと大好きだな」と思ったし、「世界でいちばん幸せになってね」「本当におめでとう」って、心の底から本気で思った。彼がひとりの男性としての幸せを掴んだことが本当に嬉しくて、涙が出そうだった。何より、彼が彼自身の幸せを諦めなかったことが私は嬉しかった。  

こんな時でさえ「お気持ちを想像すると大変に申し訳なく、晴れやかな気持ちばかりではございません」と、ファンに優しく寄り添ってくれる彼は、まさしく私が世界一大好きな加藤シゲアキという人そのものだった。

 

大好きな人が大切な人と幸せになれたこと以上に、喜ばしいことってあるだろうか?

発表から数時間、私は思いきり浮かれていたし知り合いからの安否確認にも「全然大丈夫!w」「最高にハッピー!!!」と能天気な返事をしていた。彼が彼の大切な人と笑顔でいるさまを思い浮かべるだけでニヤけてしまうほどだった。

本当におめでとう!!!貴方のことが大好き!!!!世界でいちばん幸せになってね!!!!ずっと笑っててね!!!!お幸せに!!!!!

 

 

けれど、日が落ちて夕方が過ぎ、夜が更けるにつれて、そんな“嬉しい”の気持ち以外の感情がじわじわと胸中を侵食していって、あれ?あれ?と訳が分からなくなった。

喜んでるはずなのに、どこか心にぽっかり穴が空いたみたいな、何か大切なものを置いてきてしまったみたいな、あるいは自分だけ置き去りにされたみたいな、よく分からない感情だった。

今思うと、それは“寂しい”ということだったんだろう

 

 

加藤さんの好きな部分なんてそれこそ数えきれないくらいあるけど、それらのうちのひとつに「自分の中身をひらいて見せて共有してくれるところ」がある。

彼ほど人間らしいアイドルを、私は他に知らない。

楽屋の隅でひとり泣いていた成亮が、他の誰にもない武器を手に彼にしか紡げない道を歩むシゲアキへと花開いていく。

もがいて苦しんで、地べたを這いずり回りながらも力をつけて、そうして夢を叶えていく。

そのあまりにも泥臭く眩しい生き様に魅せられているし、加藤シゲアキというひとりの人間が歩む人生にいつだって勇気と希望をもらってきた。

「俺の夢は、皆の夢でい続けること」「自分の人生を使って物語を魅せる」と口にする彼は、自分の内面を曝け出すことを厭わない。自分には何もない、お荷物、孤独、人が怖い、自分以外は全員敵だと言っていた当時の彼が、生き抜くために掴んだ「執筆」という唯一無二の武器。自分自身を外面から内側へとめくっていく作業は痛く苦しいし、それは書くという行為そのものだと彼は著書で語っていた。

「自分の見せたくない部分を見つけて刺激して、お客様に提供する」

そうして紡がれた彼自身による言葉に、私は何度だって救われてきた。また、書くという行為以外でも、彼は彼自身についてよく語って聞かせてくれた。自分がいま何を感じ、どう生きようとしているのか。「そこまで話してくれなくてもいいよ」と言ってしまいたい時があるくらいに、脳みそをむき出しにするみたいに、本当に全部教えてくれる人だった。芸能界という嘘やレッテルで塗り固められたような世界で生きている人にしては、彼はあまりにも素直で実直に見えた。時にはリップサービスも駆使しながら、ファンに愛される必要のあるアイドルという職業に就いている人にしては、彼はあまりにも“ありのまま”で生きている人だった。

kamehameha0302.hatenablog.com

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その姿が危うく見える時もあったし、外野から見ていて苦しく感じる時だってあったけど。彼が葛藤や挫折を必ず糧にして、どんどん魅力的な人間へと変わっていく彼自身の人生を、私は愛してる。

 

そんな彼だったから、彼のことをおおよそ知っている気でいた。

彼が紡ぐ文章、曲、戯曲、何より赤裸々に語られる彼自身の言葉から、加藤シゲアキを理解している気でいた。

そしたら、突然私の知らない顔をした彼が出てきたことにびっくりしてしまった。

私は加藤シゲアキのことを分かった気でいたけど、その実加藤成亮のことはなんにも知らなかったんだ。その事実に気づいてしまって、時間差で打ちのめされた。

私は客席から演者を眺めるしかできない一般人で、彼は決して手の届かないステージ上で踊り歌う側の人間。そんな当たり前のこと分かっていたはずなのに、彼があまりにも近い距離で手を伸ばそうとしてくれるから、その事実を忘れてしまっていたみたい。

「お互いにこの距離感だからこそピュアな気持ちでいられる」って言っていたのに、いつの間にか近くで生きてる気でいちゃってた。

 

NEWS EXPO 名古屋公演にて、彼はこう語っていた。

「僕は幸せになりたい」

「僕は自分の幸せを大事にしたいと思うし、自分の幸せになる場所が皆の幸せになる場所と一緒ということがどれだけ尊いか実感しました」

「だから皆も自分の幸せを自分で守って、自分の幸せを手にして、一生懸命生きてほしい」

私はこの言葉を聞いて、泣いた。彼が「幸せになりたい」と口にしたことが本当に嬉しかった。

最近の彼、特に3人になってからの彼は、自分より他のひとの幸せを願って生きているように見えていたから。「自分のことより2人(小山・増田)が幸せでいられることだけを考えてる」と語り、「一緒にいることを諦めないでくれてありがとう」と綴った彼は、仲間のためにこの運命を選んだんだなと痛いくらいに伝わってきた。

また、4人になった時に「もうねえから!」と泣きながら語ったあの日の言葉が、結果的に嘘をつく形になってしまったと感じていて、その思いを抱えながらずっとNEWSとしてステージに立っていることだって知った。また裏切るくらいなら、ここで区切りをつけて宝箱へと閉まっておく方が大切なものを守ることになるんじゃないかと、グループ存続に対して一番後ろ向きだったということも。ここ数年、彼は顕著に未来の話をしなくなった。きっと彼自身が心から信じていた「4合わせ」な未来を失ってしまったことが、彼の心に大きな穴を空けてしまったんだろうと思った。そう感じながらも、ふたりやファンの想いに応えてもう一度ステージに立つと決意して、今日この日まで立ち続けてくれている姿からは、陳腐な言葉だけど責任や覚悟、そして強い自責の念が痛いくらいに伝わってきた。

そんな彼が、「生きててよかった そんな日々を探してる」と思いながら生きてきた彼が、自分の幸せを諦めないでいてくれたこと。そしてその幸せが、私たちと過ごす時間と共にあると言ってくれたこと。涙が出るくらい嬉しかったんだ。

 

まあぶっちゃけ、当時「あれ?これ、もしかして結婚する?」ってちょっとだけ思ったけど。まさか本当に、こんなにすぐにするとは思わなかったよ。

 

彼が責任と覚悟をもってしたという決断が、嬉しくない訳じゃない。結婚してほしくなかったともまったく思わない。彼自身が幸せになるための一歩として、心から祝福するし喜びだって感じる。

けれど、これをきっかけにこれまで追いかけ続けた憧れで大好きな加藤シゲアキが変わってしまうかもしれない、ということが、どうしようもなくこわい。

 

 

自分の心のなかや私生活まで明け透けに語ってくれる加藤さんが好きだった。「ファンの皆さんという1人の人間を愛するように20年活動してきた」「ふたつ僕たちが重なるように心中してきた」と言いながら「人情心中」という曲を作って、「ファンへのラブレター」だと言いながら詩を書いて、「僕(太陽)の光で皆さん(月)を美しく照らし出す、そんな関係」だと言いながら「月蝕心中」を読み語りしてくれて。

いつだって誠のこころで素直に、愚直に、まっすぐに接してくれる愛情深い加藤さんが、どうしようもなく、心の底から大好きだった。

嘘なのか誠か

ふたつ重なる月影

さながら私とあなただ

いっそ心の中まで

ふたつの重なり

嵌まりゆく時間

月蝕さながら私とあなた

稀有な夢と現

私だけの愛しき心の中

倒れ伏す彼の周りを取り囲んだ女性たちが、彼を突いて再び起き上がらせ首元に手をかける。私がNEWS EXPOのステージで見た光景。今思えば、まだ誰のものでもない状態でファンと心中させてくれたのは、彼なりの優しさだったんだなあ。

「己でこさえた幸せだ とやかく言われるいわれはねぇの」強気な表情でそう高らかに歌い上げる彼は、もう楽屋の隅で1人きりで泣いていた、自分を応援する声が生きることにどうしても必要だった彼とは違うんだなと思った。暗闇の中でもがきながら光明を探して、ついに幸せを手に入れたんだ。

 

「好きになりすぎないこと」彼が教えてくれた言葉。これだけは全然守れなかった。いつの間にか、成亮さんのことを好きになりすぎてしまった。成亮さんに出会わなかった人生なんて考えられないって本気で思うくらい、私の人生や価値観を変えてくれたひと。どこまでも優しいひと。誰よりもひたすら真っ直ぐに不器用に、愛に生きる成亮さんの人生に、私は恋をしてたんだ。

 

 

こんな感じでメソメソしてるけど、同時に確信だってしている。これから彼が一緒に作り上げていくという光景は、きっとこれまでよりもっともっと美しいものになるんだろうって。

今までだってそうだった。彼はどんな時も、「皆さんの想いを小さな背中で背負えるだけ背負って歩き続ける」「自分の殻から抜け出る」といった言葉の通り、その時感じたものやことを糧に彼自身の人生をより輝かせてきた。

この確信は、彼がこの二十数年間で培ってきた信頼だ。歳をとるにつれてどんどん魅力的に、かっこよくなっていく彼を見てきたから、人生のステップをひとつ上がった彼はこれまでよりさらに磨き上げられて、ずっとずっと素敵な人になっていくんだろうって信じてる。私はそんな彼という主人公が描くしあわせの物語を、これからも見守り続けていたい。

世界を変えたいのなら、自分自身が変わらなければならない。すると同時に、世界は変わった自分と同じように変貌する。そして、きみ自身が幸福に生きるならば、世界はもっとも大きくなって輝くだろう。

(ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考』)

「僕が愛し続けたから、周りに僕のことを愛してくれる人しかいなくなった」

「自分に刃を向けてくる人を正面から抱きしめられる人間であれ」

色んな言葉で溢れる世界を丸ごと抱きしめることができれば、いつか優しい世界になると信じてる。彼はそういう人。人間が好きなんだなと思った。愛で自分の世界を変えてきた、愛に生きる人は、これからもきっと私たちにたくさんの愛をくれる。変わり続けることで、変わらない愛をくれる。

「先のことは分からないけど、命ある限り一生懸命頑張る」「俺も見たことのない新しい加藤シゲアキを見せ続けて、これからも追いかけがいのある人でいられるよう走っていくから。」そう宣誓してくれた彼のことを信じている。これまでも、これからも。

 

あらゆる可能性があった。だけど僕らは、この運命を選んだ。

「Different Lives」の一節。

この道は、あらゆる枝葉の中から彼が選び出した運命のひとつ。 

 

シゲアキさんの物語の一部になれることが嬉しかった。

シゲアキさんの幸せは、私たちと共にあるって言ってくれて、嬉しかった。

 

だから私も、私の幸せを守って、幸せを手にして、一生懸命生きていくよ。私が成亮さんの人生を知らないように、成亮さんだって私の人生なんか知る由もない。そんな赤の他人同士が、同じ歌を歌って感動して奇跡のような時間を共有できること。それってなんて素敵なことなんだろう?分け合った幸せを胸に抱いて、それぞれの人生へと帰っていく。そうしてそれぞれが主人公の物語を、もっと輝かせていく。これからもそんな関係でいられることを願ってる。

月と地球ほどの距離感があるけれど、優しく美しく照らし出し、照らし出される月蝕のような関係になれたら。

そうして彼の光で照らし出された時に、彼に恥じない美しい姿でいられるように、私は私の人生を輝かせていきたい。

そう思わせてくれる加藤シゲアキは、やっぱり私にとって世界でいちばんのアイドルだ。

 

 

これまでたくさんの幸せをくれて本当にありがとう。

自分自身を切り分けるみたいに、血を流しながら一緒に歩いてくれたこれまでを、決して忘れません。

加藤シゲアキさんと出会えたことで、私の人生はずっとずっと色鮮やかで豊かなものになったんです。

そうして幸せにしてくれたぶん、世界でいちばん幸せになってください。

どうかあなたが大切な人と笑い合いながら、幸せに満ちた人生を紡いでいけますように。

そう心から願っています。

 

 

世界でいちばん大好きなひと。

加藤さん、ご結婚おめでとうございます。

 

努力は人を美しくする

 

 

2012年1月28日から、今日で12年が経ちました。

 

12年前のあの時、自分には何ができると悩んで悩んで悩んで、筆を手に取ってくれたこと。

その筆を折ることなくこれまで書き続けてくれたこと。

その結果、文学賞という目に見える形で評価されるまでになったこと。

すべてが加藤さんの血の滲むような努力が成したことであるとともに、決して誰にでもできることではないと思います。

 

 

アイドル作家なんて前代未聞で、きっと色んな言葉を目にすることもあったと思うし、色眼鏡で見られることも覚悟の上だったでしょう。

『ピンクとグレー』を刊行した朝、「叩かれる日々が始まったと思った」と言っていたことが忘れられません。

それでも、熱を絶やさず心の内を開き、物語を紡ぐことを諦めなかったこと。

それが加藤さん自身を磨き上げ、12年前よりずっとずっと魅力の溢れた人になられていること。

心から尊敬しています。

 

 

「努力は人を美しくする」とは、加藤さんを表すのにぴったりな言葉だと思っています。

 

 

 

自分の持てる全てを使って命懸けで書いたという『なれのはて』、この本を世に出すことを少し憚ったという加藤さんの思いがよく分かる内容でした。

昨今の状況下で、他でもない加藤さん自身が紡ぐからこそ読者に強く訴えかける力を持つ作品だと思いました。

加藤さんの12年の作家生活が詰まったこの作品が、1人でも多くの人に届くことを心から願っています。

 

 

12年目以降も加藤さんが紡ぐ物語、そしてそれに併せて生まれる加藤さん自身の物語を楽しみにさせてください。

書き続けてくれて本当にありがとう。

いつもいつも、様々な形でたくさんの幸せをくれてありがとう。

『オルタネート』でも『なれのはて』でも、想像もしていなかったような幸せの溢れる場所へと連れて行ってくれてありがとう。

大好きな人の頭の中を、物語という形で覗くことができる私は、世界でいちばん幸せなファンだと胸を張って言えます。

 

 

作家デビュー20周年本当におめでとう!

作家加藤シゲアキの未来に幸あれ!

 

 

あの日の自分へ。

孤独とばかり付き合わずにいてくれてありがとう。小説を書くに当たって、なにからしていいかわからずテレビに布団をかけてくれてありがとう。執筆用のソフトを何時間もかけて探してくれてありがとう。私は今でもそのソフトを使っています。

そして、自分自身を諦めないでいてくれてありがとう。

 

この先の十年がどのようになるか私はわかっていないが、でもきっと十年前と同じように、どこかで想像しているのだろう。その道は決して平坦ではない。ごつごつとしたオフロードだ。

しんどいに違いないが、その乗り心地の悪さと共に得るかけがえのない快感を、私はすでに知っている。

(『1と0と加藤シゲアキ』あとがき)

 

 

美しい希望を叫ぶ

 

“NEWS 20th Anniversary LIVE 2023 NEWS EXPO”

最高だったなあ〜!!!

 

いや、厳密にはまだ今後も参加させていただく機会はあるんだけど。ツアーとかNEWSpaceとか、その他諸々の20周年を祝う媒体を見てると、なんかもういてもたってもいられなくなり。

オーラスまで感想まとめるのは我慢しようと思ってたけど、あと数日でジャニーズが終わることもあり、ここらで自分の気持ちを整理しときたいなと思った。

感じたことをただ綴るメモ代わりみたいなものなんで、構成も何もない乱雑すぎる文章になりますがすみません。

ちゃんとした感想もそのうち書きます。

 

 

⚠️以下EXPO・NEWSpaceのネタバレ注意⚠️

 

 

周年のツアーだから、もっとウェッティな雰囲気になるかと思ってた。

けどいざ行ってみると、エモーショナルさはありつつもそこには本当に「今この瞬間が楽しくて仕方がない!」みたいな3人がいて。

その顔を見て、「この人たちは、デビュー時から変わらない3人で今NEWSをしていることが本当に楽しいし嬉しいんだな」と心から思った。

 

特に、増田さんが今回のツアーで繰り返し「小山とシゲの2人に出会えて、今まで同じ道を歩んでこられたこと」について話しているのが、なんか嬉しいなあって。

大阪初日なんて、「この2人と出会えたことが奇跡……」って言いながら泣き出しちゃったり。

 

個人的に、NEWSが3人になって一番変わったのは増田さんだと思う。小山さんと加藤さんも「別人みたいになった」って言ってたけど。

事務所で最後の1人になるまで絶対にやらなさそうだったSNSを開設したり、そこで滅多に撮ってくれなかった自撮りをアップしてくれたり、プライベートやパーソナルに深く根差した部分を感じさせることには後ろ向きだったのに「もし自分に子どもが出来たら」をテーマにした作詞をしたり。具体的な言動だけでもここ数年の彼の変化は凄まじい。

けれどそれだけじゃなくて、なんというか、ふとした瞬間。MCや動画内で彼が纏う雰囲気が、丸く柔らかく優しくなったなあって。前までがそうじゃなかったとは言わないけど、なんかより伸び伸び、彼らしく、安心しきった顔をしているような気がして。

コヤシゲも最近の増田は伸び伸びしてるって言ってたから、きっとバクステでもそうなんだろう。

あと、少し前までの増田さんは、今ほど直接小山さんと加藤さんへの思いを言葉にはしてなかったように思う。心の中で思っていても、それを表にあまり出さない人だった。

 

けれど3人になってから、特に音楽ツアーあたりからの増田さんは、コヤシゲに対して直接自分の思いを言葉にして伝えるようになった。STORYオーラスで自身の“夢”として「シゲと小山とずっと一緒に歌っていたい」と言った時は、驚きすぎて聞いた瞬間に涙が止まらなかったけど。あれは、なんか純粋に「意外だな」って思った。あんまりそういうこと言わないのに、って。

けどここ最近の増田さんなんて、もう2人への信頼や尊敬や愛情をまったく隠さないようになった。

他でもないこの2人と一緒に、2023年の今もNEWSとして歌っていることが心から楽しいんだと言いながら。

NEWSpaceでも、増田さんを構成する20の要素のうち2つが、小山さんと加藤さんからのギフトだった。増田さんは、どんな気持ちであのネックレスとスノードームを選んだんだろう?

 

これらの増田さんの、ここ数年の変化。

きっと増田さんの言う「デビューした時から変わらないこの3人」であることの意味を、他でもない彼が感じ取ってるんだろうな。この言葉、増田さんよく使うけどニュアンスが伝わりにくいよね。けど、何となく分かる。この3人だけは、2003年にデビューしてからずっと変わらずNEWSでいるんだよ。この世でたった3人だけ。

手を取り合って、傷ついて倒れ込んで、もうダメだって思っても、もう一回支え合って立ち上がって。彼らの絆の強さは、きっといちファンの私なんかでは到底測り得ないくらい強いんだろうな。

(小山「俺とシゲが一番、この一年のまっすーの変化に気付いていると思う。今のまっすーは3人でどうにかしようとしているというか。3人でNEWSなんだっていう思いをすごく感じる。あと、心を開いたというか。もちろん今までだって開いていたけど、もっと開けたんだなっていうところが見えた」TVガイドAlpha EPISODE SS 2021.07.31)

 

ここ数年で、3人の関係性は大きく変わったなあとファンなりに思う。

頑固だった増田さんが、「2人はどう思う?」「〜分かんないけど」が口癖になった。

(加藤「「わかんないけど」って言うようになったの最近じゃない?昔はさ、これじゃなきゃヤダって。だから意外と、皆で決めたいって思うんだなって。変化だと思った。だから、優しいなって思うよ。嫌だってこっちが思うことはやりたくないんだよね」KちゃんNEWS 22.04.19)

2人への信頼を言葉にするようになった。

どちらかと言えば仲介側で静かにしていることが多かった加藤さんが、より自分の言葉を強く表すようになった(嫌われ役になる人も必要になったからそうするようになった、と彼は言ってた)。

ファンとアイドルを繋ぐ役割に徹していた小山さんが、STORY・音楽とシゲマスが想いを乗せる現場を共にすることを通して、一緒にツアーの打ち合わせに参加するようになった。

何より、3人で話している時の空気感が、なんというか……お互いを見る目があまりにも優しくて、まるで宝物を見るみたいな瞳をみんながしているから。

「生きろ」のイントロで歩み寄るところ、お互いを見て頷きあう表情が力強くて、「俺ら最強!」って全力で言ってるその顔が頼もしかったし。

宮城初日、フルスイングで加藤さんが上向いたり下向いたりしながら「やべー」ってマイク通さずに言って笑ってて。あ、泣きそうなんだなーと思ってたら、小山さんと目が合って。吸い付くみたいにぎゅーって抱きしめ合ってた光景が脳裏から離れない。(小山さん曰く、加藤さんが「こやまぁ」って顔してたらしい)

大阪初日、「お前も!お前も!最高だよ!」と大暴れする加藤さんに自分から抱きつきに行く増田さんと、そこに走っていく小山さんもいて。

We are Team NEWSで「思えば遠くに来たもんだね」と歌いながら、手を握り合う3人がいたり。

なんというか、今回のツアーはそういう3人のお互いへの愛が溢れちゃってるシーンがすごく多いなあと。それでもって、3人ともめちゃくちゃ幸せそうに笑ってて。3人が懸命に守ってきた「好きしかない世界」で、お互いが世界でいちばん幸せだよって顔をしながら、ファンに「大丈夫だよ」って言ってくれる。

「愛してるだけの国」って、こういうことなんだなあって思った。

 

3人になった時はさ、そりゃ絶望はしてなかったしこの3人なら大丈夫だって思ってたけど。けどやっぱり心のどこかに不安があって。「あの曲はもう聴けなくなるのかな」「コヤシゲと増田さんのバランス大丈夫かな」みたいな、漠然とした不安が、STORYあたりまではあったと思う。

何より、2020/6/19に見た3人の表情が忘れられなくて。

でも今の3人は、あの日の表情が嘘だったみたいに笑い合えてる。

自分たちの未来を、心から信じてる顔をしてる。

あの時加藤さんは「皆さんの思いを小さな背中でできるだけ背負って、荒野を進んでいく」って言ってくれたけど。でも蓋を開けてみれば、どんな時でも3人が手を離さずに、ぎゅっと強く握り合って進み続けてくれたから、荒野なんてどこにもなかったよ。三つ葉のクローバーがたくさん咲いてる、優しくて素敵な場所を、3人が作ってくれたから。

「これからは3人のNEWSを認めてもらえるように頑張ります」「NEWSを守っていきます、守ってみせます」と、声を震わせながら言っていた日からもう3年経ったけど、あの時考えていた以上の幸せと夢、そして未来を3人は見せてくれた。

初めて音楽ツアーという3人だけで作り上げた作品を完成させて、いよいよ「NEWSはもう絶対大丈夫」って思わせてくれた。STORYから音楽、そしてその先へと進むにつれて、3人の表情がどんどん自信を持った力強いものへと変わっていった。

そして、ついに迎えた20周年。

 

私は今のNEWSがいちばん好き。

4人のNEWSが大好きだったし、6も8も9も愛しているけど。それでも今の、お互いがお互いの目を見ながら同じ方向を向いて、自分以外の2人を守ろうと腕を伸ばしながら歩みを止めない3人のNEWSが大好き。

加藤さんが「今が一番良い」「◯人になってよかったね」って言われることをあまりよく思わないことは知ってるけど。それでも、私は今の誰よりも優しくて誰よりも強い3人が大好き。

加藤さんが「ファンよりメンバーの方が大切」「自分より2人が幸せでいられることだけを考えてる」と言ってしまう、そんなNEWSが大好き。

 

「NEWSをやめるのもなくすのも簡単だった」「NEWSを残させてくれてありがとう」「NEWSはNEWSを守っていく」「NEWSのエンターテイメントはなくならない」と、今このタイミングで聞けて本当に良かった。

正直不安で不安で仕方ないし、昨今のあまりにも偏った報道に世論が歪められていく様子は本当に耐え難いけど。

でもNEWSが「俺らは大丈夫だから、みんなは今まで通りNEWSのこと好きでいて」って言ってくれたから、今は3人を信じてただただ応援する。

この3人なら絶対大丈夫だって、そう思わせてくれたのは間違いなく3人の途方もない努力と魂の結晶だし、そんな彼らのファンでいられることを心から誇りに思う。

私はきっと、どんな形になってもNEWSがNEWSである限りずっとずっとついて行くし、「死ぬまでNEWSやります!」と言ってくれるように死ぬまでNEWSのファンなんだと思う。

あの日偶然出会った日から今日まで、NEWSのファンで良かったと思わなかった日は一日もない。

NEWSが好きな自分が好きだし、そう思わせてくれるNEWSが大好き。

NEWSを好きになれた自分は幸せ者だなあ。

改めてそう感じたツアーだったし、これまでのツアーで一番好きだなと思えた。

毎年毎年「今回が一番好き!」って思わせてくれるNEWSは、すごい。

NEWS3人の未来に幸あれ!

 

 

最後に、事務所についてちょっとだけ。

 

小学生の頃からジャニーズが大好きだった。というより、ジャニーズの作るエンタメが好きだった。

あの独特の世界観を作り上げていて、どこか排他的でそのぶん強固な繋がりもあって、人間らしさと作り物らしさが共存したような不思議な雰囲気を持っている、あの唯一無二のショービズが大好きだった。

あれだけ先輩後輩の関係性が強く、所謂「ジャニーズイズム」を後輩たちが踏襲していく文化は、他の芸能事務所にはあまりないものだと思う。

そんなジャニーズという文化の中で、何とか芽を出そうと踠くみんなが好きだった。

 

そして、そんなジャニーズという箔に多くのタレントが誇りを持って仕事をしてることも知っている。

増田さんは「死ぬまでジャニーズでいたい」とよく言ってた。「特技:ジャニーズ」だとも言ってた。

ジャニーズの子たちが、「俺らジャニーズなんで!」って笑う顔が好きだった。

FCは「ファンクラブ」じゃない。「ファミリークラブ」なんだ。そういう繋がりも好きだった。

ジャニーズという生き様が好きだった。

 

 

これまでたくさんの夢を見せてくれて本当にありがとう。

私の人生を、スポットライトの光で明るく照らしてくれてありがとう。

ジャニーズに人生を救われた人間としてジャニーズのファンだったことを誇りに思うし、今後の人生でもこれまで感じた感動や興奮を私は絶対に忘れない。

 

ジャニーズシャッフルメドレーやカウコンを見ている時のワクワク。初めてジャニーズのコンサートに行った時の、人生観を変えてしまうほどの感動。初めてファンレターを送った時のドキドキ。

出会わせてくれた、大切な人たちとのたくさんの思い出。

全部全部忘れない。

 

それらを大切に宝箱に閉まって、心が折れそうな時は思い出して、これからも生きる元気をもらおうと思う。

 

そして、大切な人たちが今後どんな選択をしても。

“ジャニーズ”ではなくなった瞬間も、彼らの軌跡を追いかけていたいと思う。

 

 

ありがとう!ジャニーズ!大好きだよ!

 

 

 

舞台「モダンボーイズ」──エンターテイメントの力──

※この記事には舞台「モダンボーイズ」のネタバレが含まれています
※記憶違いがあるかもしれませんがご了承ください
※感情のままに書いているので乱文ですがご容赦ください



2021年4月10日、加藤シゲアキさん主演の舞台「モダンボーイズ」を観劇しました。



モダンボーイズ」は、1994年に木村拓哉さん主演で都政施行50周年記念公演として上演された、幻の名作ともいわれる青春群像劇です。

 

【あらすじ】(公式サイトより)
日中戦争前夜、浅草のレビュー小屋。座付き作家の菊谷栄に、同郷(青森)の友人・工藤がプロレタリア革命を志す同じく青森出身の学生・矢萩奏を紹介する。
ある日、矢萩が警察に追われて劇場に逃げ込んでくる。菊谷と劇場の仲間たちは、矢萩に道化の扮装をさせて、警察から匿う。尋問を受け、菊谷はコーラスボーイだとごまかすが疑う特高刑事。仕方なく歌を披露する矢萩。故郷で合唱部だった矢萩の「My Blue Heaven」の歌声はすばらしかった。
矢萩は劇場に身を隠すことになる。そこで思想活動のために封印していた音楽の才能が開花し、やがて矢萩は浅草エフリィの芸名でレビューの人気者となっていく。しかし不景気と戦争が切迫する時代。不要不急と言われる浮かれたレビューの世界に生きることに悩み揺れながら、そんな時代に劇場の扉を開き、歌い、踊り続けることの意味を、矢萩は菊谷や仲間たちとともに噛みしめてゆく。



大戦に突入しつつあった激動の時代において、様々な文化・思想の入り乱れるメルチングポットとして混沌かつ唯一無二の輝きを放っていた浅草六区
レビュー小屋や活動写真館等、様々な娯楽施設が立ち並び賑わいを見せていた浅草は、大衆にとってまさに夢のような場所だったに違いありません。

そんな浅草のレビュー小屋で起こる奇跡を、「モダンボーイズ」では描いています。







私は、「モダンボーイズ」はこのコロナ渦に上演するからこそ意義のある舞台だったと強く感じています。


加藤さん演じる奏はプロレタリア革命に傾倒する青年であり、労働者や農民等の一般人がブルジョア階級に搾取される日本の構造に激しい憤りを覚えています。
(資産を持ち音楽を嗜む余裕もある青森のブルジョア階級に生まれたという、まさに太宰たる境遇がコンプレックスを生み、結果革命思想へと依存していった部分もあるかと)

戦争が起こっても、駆り出されるのは一般民衆だ。
私欲を貪るブルジョアを滅ぼさなければ、日本はどんどん疲弊していく。
日本を変えなければならない。革命を起こせ。


そんな思想を持った奏は、当初はレビューを否定的に見ていました。
レビューなど、何の役にも立ちはしない。
今この瞬間にも、国に苦しめられている人々はたくさんいるというのに。



しかし、菊谷たちのレビューを見た奏は、その希望に満ちた輝きに感銘を受けます。
菊谷はレビューを通して、「自由」の美しさ・素晴らしさを観客に伝えようとしているのでした。

国による検閲がどんどん厳しくなり、「戦争に行っても、弾に当たらないようにずっとしゃがんでいてね」と愛しい人に願うことすら罪となった時代。
そんな暗い時代でも、一歩レビュー小屋の扉を開けば、そこでは皆が馬鹿みたいに笑って踊って、キラキラと輝いている。
レビュー小屋では、階層や前科なんか関係ない。
そこでは、「誰もが何者でもない人になれる」、「誰もが自由になれる」。

「本当に不要なものなら、誰がそんなものに金を出そうと思うかね?」



コロナ渦でよく耳にするようになった言葉、
【「不要不急」の外出は控えてください】

レビューのような娯楽は、必ずしも存在しないといけないものではありませんし、なかったら生きていけないものでもありません。
いわば、「不要不急」。

去年から感染防止のために、数え切れない程の娯楽が中止となりました。
コンサート、舞台、スポーツ、映画──


モダンボーイズ」で描かれている思うように表現することが叶わない検閲の時代と、今のコロナ時代は、少し似通っているなと感じます。
そして、そんな暗く辛い時代だからこそ、人々は「不要不急」の輝きを求めるのだと思います。
 


作中で、とあるシーンがありました。

革命を叫ぶにも関わらず、不要不急の娯楽であるレビューに熱を捧げる様子を「矛盾している」と指摘され、思い悩む奏。
蹲る奏のもとに、いつもレビューの便所掃除をしているおばあさんがやってきました。

おばあさんは、いつも舞台袖から奏たちのレビューを見ていました。
12歳の頃に奉公に出され、その時からずっと便所掃除ばかりしている。針仕事のひとつもできやしない。便所ばかり触っている汚い手だと、おばあさんは言います。彼女はまさに、当時の労働者階層を象徴する人物でしょう。
そんなおばあさんにとって、奏たちのレビューは「この世のものではないみたいに綺麗」なものでした。
しかし、おばあさんは一度も客席からレビューを見たことがないと言います。


すると突如、奏は自身を覆っていた布を取り去り、おもむろに歌い出します。
これ以上ない愛の歌を。
腰が曲がり汚れた服を着たおばあさんの前に膝をつき、薔薇を一輪そっと差し出します。
そして、薔薇を受け取ったおばあさんの手を取り、優しいキスをひとつ。

微笑みかけられたおばあさんは、ありがとうございます……!と繰り返し口にしながら、声を上げて泣き出したのでした。

 


ステージに憧れ、一時の光を見出していたおばあさん。
そんな彼女の便所掃除で汚れた手に薔薇を握らせ、キスを送ってくれた浅草エフリィ。


その瞬間、彼女の姿と客席から舞台を観ている自分自身が、何故か重なって見えました。
気がつけば、涙が溢れていました。




エンターテイメントに生かされ、生きる希望を見出している人たちがいる。
モダンボーイズ」のレビュー小屋にも、そうした人々がたくさん足を運んでいることが分かります。

「ここでは、誰もが自由になれる」
「ここでは、誰もが何者でもなくなる」
「ここは、奇跡が起こる場所」

よぼよぼのおじいさんも、レビュー小屋に一度くれば元気いっぱいになって帰っていく。
皆が我を忘れて笑顔になれる。
どれだけ日常で、辛いことがあったとしても。


奏は叫びます。
浅草を歩く人々の中には、犯罪者もいるかもしれない。人を殺めた人もいるかもしれない。
そして、そんな人々も、レビュー小屋のドアを開くかもしれない。

僕はここで、世界を変えてみせる。
奇跡を起こす。



エンターテイメントの前では、誰もが自由になれる。
自分ではない人の人生に感動して一喜一憂し、明日からも生きていく力をもらって帰っていく。

エンターテイメントは、確かに不要不急のものかもしれない。
けれど、その持つ輝きや希望に救われている人が
この世にはたくさんいる。

私もその一人です。
「来月のイベントのために頑張って生きよう」「楽しかった、これで明日からも頑張れる」と、何度エンタメに生きる力をもらったか分かりません。



そんな私にとって、奏が「何があってもこのレビューのドアを開け続ける!」と宣誓する姿は、とても眩しく尊いものに見えました。



それでも、人生というものは残酷で、自分の力ではどうしようもなくなる時はある。
作中においても、検閲に逆らい続けていた菊谷は戦争に招集されてしまいますし、レビューに生きると誓った夢子は人身売買の過去から逃れられず舞台を去ることになります(まあでも最後には戻ってきてハッピーエンド、と思っていたら、本当に永遠の別れになってしまいました。現実とはそういうものなのかもしれません)。

それでも、人生という物語は続いていく。
私たちは時に打ちのめされながらも、生きていかなければならない。


そんな物語の旅路を明るく照らしてくれる光こそがエンターテイメントだと、私は信じています。



NEWSの曲「NEW STORY」には、以下のような歌詞があります。


何度夢に破れ 夢にはぐれ ここまで来ただろう
生きていく 一度きりの物語を
他人(ひと)に言えないこと 言わないこと 胸にあるだろう 
生きていく すべて抱え進んでいく
自分(きみ)のSTORY
それが“STORY”




一度きりの物語を、みんな懸命になって生きている。
それでも、どうしても辛くなったら、エンタメの力に頼ってもいい。
「逃げる場所にしたっていい」「僕らの手を握っていて そのぬくもりを忘れないで」(NEWS「クローバー」)。
人がエンターテイメントを求め続けてきた所以は、ここにあるのではないかと思います。

不要不急かもしれないけれど、それでも人にとってエンタメは希望であり、光です。
そして、そんなエンタメを「どんな時でも笑顔でいよう」と舞台の上から届けてくれる、レビュー小屋の皆のようなエンタメ人たち。
彼らの輝きを求めて、心の糧にして、私はこれからも生きていくのだろうなと思います。





また、「どんな状況でもこのレビューのドアを開き続ける」と強く誓っていた奏たちの姿が、「この船を守り続ける」と誓っていた3人の姿、そして「僕の仕事は、自分の人生を使って物語を魅せること」と言っていた彼の姿と重なって見えた瞬間がありました。

どれだけ苦しいことがあっても、辛いことがあっても、それでも守りたいものがある。
そんな自分たちを見て、救われる人がいる。
物語を紡ぎ続ける。


増田さんの、「ここに来たら楽しいことが待ってるって思えるような場所にしたい」「NEWSを皆の居場所だと思ってもらいたい」「どれだけ普段辛いことがあっても、ここに帰ってきたら元気になれると思ってもらえるようになりたい」という言葉。
何万ものファンの思いを背負って、時に転びながらも前に進み続ける彼らの背中に、私はこれからも着いていこうと思います。
自分勝手だけど、私の思いを彼らに背負ってもらって、心を支えてもらいながら生きていこうと思います。
「自分たちを必要としてくれる人がいる限り、この船を守り続ける」という彼らの言葉に、頼っていこうと思います。

彼らは最高のエンターテイメント人で、最高のアイドルだと、心から思います。





この他にも、「モダンボーイズ」はたくさんのメッセージが込められた作品でした。

売られて妾にされた挙句にレビューから引き戻される夢子や「女は身を売ることでしか生きていけない」という台詞は、当時は色濃く、そして今も残り続ける女性差別の問題を孕んでいたように思います。
戦争に駆り出され、過去に検閲の対象となった己の脚本中の言葉をかけられることとなる菊谷。恐らく獄中で激しい拷問を受け、別人のように変わり果てた姿となってしまった工藤。
戦争や思想の弾圧といった当時の問題が人々にもたらした悲劇も、この舞台には描かれていました。  

そんな中でも、レビュー小屋の皆は常に笑顔で明るく振る舞いました。
恋人を失った上に恩人まで失いつつあり、失意の中にあるはずの奏は、眩い光を背負って舞台に立ちます。
白いシルクハットに燕尾服を着て、数多の蝶に彩られながら登場した彼の姿が、今も脳裏に焼き付いています。

「さあ、幕を開けるぞ」

夢子や菊谷らの思いを背負いながら、奏はこれからもレビューに立ち続けるのでしょう。
命をかけて、レビューで世界を変えるという信念を滾らせながら。
奇跡を起こす、と胸に刻みながら。



 





【おまけ】

偏差値2版の感想も書いておきます(というか、以前知り合いにこのブログについて「毎度内容が重い」「もっと脳直で書け」と言われたことを気にしている)。

実は「モダンボーイズ」、まさかの3列目で観劇することができ、加藤さんの美しいご尊顔がすぐ間近に……という状況でした。
目の前で繰り広げられるラブシーンに、気が付けば私の手は爪が食い込んだ跡だらけになっていました。


以下、馬鹿の書く感想



・学生服の奏くんかわいい
・初めてレビューに来た時に、そのへんの舞台用具触りまくって工藤さんに怒られてるの可愛い
・血だらけで弱ってる奏くん可愛かった。弱っている演技をする加藤さんは至高。
・奏くん、というか加藤さんの女装(?)……
・奏くん、というか加藤さんの生足…………
・加藤さんぶっ倒れる演技上手い
・女性陣に詰め寄られて困ってる奏くん可愛い
・奏くん着流し似合いすぎて死んだ
・元コーラス部っていう設定だし当時のレビューの歌い方だから、J-POPの時とちょっと加藤さんの歌い方が違って素敵
・加藤さんの津軽弁……
・ふとした瞬間の奏くんの憂いを帯びた表情が美人さん
・奏くん夢子さんに触れられる度にビクッとしてて可愛い
・皆踊ってるのに奏くんと夢子さんだけ二人ぼっちの世界入っちゃっててあんたら……ってなった。見つめ合ってんじゃねえ
・燕尾服の奏くん素敵。加藤さん和洋折衷どんな服も似合うな?
・き・ん・つ・ば、の奏くんセクシーすぎた
・女性を二人侍らせてる奏くん素敵……
・手袋を口で外す奏くん色気たっぷりすぎて声出そうになった
・二幕の奏くんがまさにモボすぎる
・膝をついて薔薇を差し出す仕草がこんなに似合う男いる?
・「俺も会いたい」え?可愛い
・顔が近すぎてキスするのかと思ったらした
・夢子さんと奏くんは並ぶと本当に様になるなあ……
・キスシーンは寸止めですか??????
・皆わちゃわちゃしてる時に一人フッ……って笑いがちな奏くん可愛い
・奏くんが夢子さんを抱き締める度に体格差を感じてリアコ魂を揺さぶられる
・夢子さんや菊谷さんがレビューに来てくれるお客さんの話をする時こっちを見てくれるから、なんだか自分たちと物語の中のお客さんが重なって感じた瞬間が何度もあった。何回か泣いた。
・奏くんが胸や肩をドンッ!ってどつかれる度に、加藤さんの存在をそこに感じた
・黒いスーツ着てたらより加藤さんの足の長さが分かる
・物語が進んでいくにつれてどんどん笑顔が増えていく奏くん可愛い
・途中でお互いの呼び方が変わっててキュン……
・布に包まって落ち込む奏くん……刺さる……
・夢子さんにもらった櫛で髪をかき上げる奏くん爆イケすぎて泣いた
・加藤さん彫り深っ。というか鼻高っ。目ぱっちり。
・加藤さんの眉毛の形 \ /←これ
・こんな近くで見ても顔が良いからすごい
・カテコで投げキッスする加藤さんが様になりすぎてて無事死亡

・「花の帝都に彗星の如く現はれ レビュウの空にひと際輝く 東洋一のモダンボーイ 浅草エフリィ」という謳い文句が似合いすぎる男 矢萩奏こと加藤シゲアキ




私も奏くんに「ビフテキ食べに行こう♡」って誘われたい人生でした。


閲覧ありがとうございました!

いつか巡り会える虹の橋で

2020年12月31日、私が世界でいちばん大好きな5人が、別々の道を歩み始めた。




私は今から14年前、小学生だった頃に5人に出会い、そこから何度も彼らに救われてきた。


実家にある馬鹿みたいに大きいコンボ(平成製)にフラゲしたアルバムをセットして、歌詞カードを見ながら5人の歌声に聞き惚れるのが毎年の恒例だった。
毎晩寝る前にはベッドの中でウォークマンに入っている5人の曲を聴いて、幸せな気持ちで眠るのが常だった。

数々のレギュラー番組やドラマ・映画は勿論、毎年発表されるアルバム、そしてそれを引っさげて行われるツアーのために、生きようと思えた。
「死にたいなあ」と思った時も、「今年の嵐のアルバム聴いてないし、ツアーのコンセプトも知らない。生きなきゃ!」と思うことができた。
友達と喧嘩した小学生の時も、部活で仲間外れにされた中学生の時も、受験でナーバスになっていた高校生の時も、そして就活・教育実習・卒論でストレス過多になっていた大学生の時も、私の傍にはいつも嵐がいた。


嵐は、私の人生を何度も救ってくれた。




また、嵐を好きになったことで得たものも数え切れない。
北海道から福岡まで日本全国を遠征した際には、ライブのついでにたくさんの場所を巡った。
そんなことをしているうちに私は日本のことが大好きになり、その結果日本の文化を学ぶことができる学科に進学した。
一緒にライブに行ったことで同じく嵐の大ファンになった母とは、常に嵐やジャニーズの話題を介して盛り上がり、今でも毎日連絡を取り合い二人で旅行に行くくらいにはかなり良好な関係を築いており、嵐が親子の絆を繋げてくれた部分が大いにある。
嵐を好きになって生まれて初めて「何かを熱烈に応援すること」の楽しさに目覚め、他のアイドルグループを推したり、ゲームや漫画などの別の趣味ができたりもした。

嵐は自身の人格形成に間違いなく深く関わっているし、私の人生に最も大きな影響を与えたと言っても全く過言ではない。
というか、紛うことなき事実である。




2019年1月27日17時過ぎの絶望している自分に、「何にも心配することなんてない。だってあの嵐だよ!」と言ってあげたい。
それくらい、活動休止が発表されてからの2年間は、本当に楽しくて幸せな時間だった。
2年間もの猶予を与えてくれたことだけでも優しいのに、彼らは私たちファンに寂しい思いをさせないために、常に努めて明るく振る舞った。
「その瞬間までのカウントダウンにならないように」と、皆で楽しく準備する時間としてコンテンツを作ってくれた。
その他にも、できるだけ多くのファンが会えるようにと実施され約240万人を動員した、50公演にも及ぶドーム公演。FC会員全員に送られた20周年記念グッズやスワロフスキー。嵐を旅する展覧会。嵐の日。アラフェス。Voyage。SNSYouTube。嵐ジオ。最後のライブの紙チケットや銀テープetc...
それらの全てが、彼らの優しい愛に溢れていた。


その上で、彼らは複雑な思いを抱えているファンがたくさんいることも分かっていて、「それでいいんだよ」と言ってくれた。
彼らは、決して相手を否定しない。メンバー間でこれまで一度も諍いが起きていないという所以は、そこにあるのではないかと思う。
5人が好きな人、特定の人だけが好きな人、喜怒哀楽様々な思いを抱えている人。それらの人々をまとめて抱きしめてくれるのが、嵐というグループだった。
大野くんが「4人の人間性があったから今日まで続けてこられた」と、相葉くんが「4人は人としてトップなんだなって」と言っていたように、どこまでもあたたかい5人だった。


こんなにもファン思いなアイドルは日本のどこを探してもいないと、私は思っている。
「この人たちのファンになれてよかった」と、こんなにも心の底から思えるアイドルに出会えた私は幸せだなあ、とも思う。



深夜番組で馬鹿みたいな実験をしたり、メンバー手作りのこれまた馬鹿みたいなすごろくで遊んだり、コンサートのステージ上で缶蹴りをしたりして笑っていた彼ら。
今では天皇陛下の前で奉祝曲を歌うまでの国民的アイドルグループになった彼らだが、それでも根っこの部分では当時の彼らと何も変わっていないと感じられるところが好きだし、大野くん本人もそう言っているのを聞いて、嬉しかった。


何年経っても内側に向いて、お互いを尊敬しあい、補い合い、優しい笑顔を向け合う、そんな5人の関係が大好きだ。
そして、本人たちが誰よりもいちばんの嵐ファンを名乗り、「奇跡の5人」「この5人だから」「“5” is my treasure number.」を繰り返し語るところが大好きだ。



彼らは、決してやすやすとトップアイドルに上り詰めたわけではない。
初めてのドーム公演までの年数は後輩を含める他のグループと比べてもかなり遅かったし、デビューから7年が経っていた2006年時点でも、FCの会員数はたったの15万台だった。
あまりにもCDが売れないから(ジャニーズ事務所オリコン1位絶対主義)レーベル変更という形で実質見捨てられ、異例の握手会を開催したこともあった。
コンサートの席が埋まらないので、後ろのほうに暗幕が張られ、JrやV6等のFCにチケットが配られたこともあった。

2004年の24時間テレビで相葉くんが「みんながいつも言ってるトップになろうって夢絶対叶えようね」という手紙を読んだ時も、嵐にそんなことできるはずない、と鼻で笑われていた。



けれど、彼らは実際に夢を叶えて、トップになってみせた。
それでも謙虚な姿勢を崩さず、「ファンの皆さんが一緒に走ってくれたおかげ」だと言う5人を見ると、夢のその先の景色をこの5人と一緒に見たいと思えた。





昨日のThis is 嵐 LIVEは、まさにこれぞ嵐!というようなコンサートだった。
CGと見まごうような、「再結集」を意味するリユニオンタワーを模したド派手なセットや美しい技巧の数々、そして心から楽しそうに歌い踊る5人。
「私が大好きな嵐」が、存分に楽しめるライブだった。
 

最後の瞬間、しっかりと手を繋いで横に並ぶ5人の姿が本当に眩しくて、大好きだなあ、と改めて思うことができた。 









翔ちゃんへ。
いつも嵐を、4人のことを凛とした姿勢で守ってくれていたあなた。
会見の時、大野くんに向けられた言葉の棘に真っ向から向き合って、怒ってくれてありがとう。
翔ちゃんは最後のライブまで、残酷なくらいに、どんな時だっていつもの綺麗な笑顔でいてくれたね。
裏側では、リーダーの前で自分を取り繕えなくなるくらいに涙を流していたらしいけど。ファンの前では「どんな形になっても、最後まで笑顔でいよう」と言っていた誓いを、あなたは最後の瞬間までずっと守り通そうとしていたんじゃないでしょうか。
それでも耐えきれずに、5人の、本当にいちばん最後の瞬間に溢れた翔ちゃんの涙が、今でも脳裏に焼き付いています。
翔ちゃんは本当に賢くて優しい人だなあと、あなたの紡ぐ言葉を受け取る度に思います。
「必ず見てくれているあなたへ」と、櫻井翔のファンに向けた愛を綴った日々もありましたね。私は「寂しくなったあなた」の一人だけど、翔ちゃんのそういうところが好きだなあと改めて思うことができました。
私が最後に嵐に会った日──2019年11月14日の札幌ドームで、PIKA☆☆NCHI DOUBLEの歌詞を少しだけ弄って「あの時あの場所で、“また”会える、よね!!!!」と手を振ってくれた時のこと、私は一生忘れません。
今では当たり前となった、ジャニーズのラップや大学進学のパイオニアであること。尊敬しているし、誇りに思います。
翔ちゃんが嵐でいる時の、普段とは違うガハハ笑いが大好きです。
「you and I.」「5 and you.」を、繰り返し伝えてくれるところが大好きです。
5×20の歌詞を書き直したあなたの心情を考えると、今でも胸がぎゅっとなるけど。「また胸を張って、僕たちが嵐ですと言えるその時」が来ることを、ずっとずっと待っています。
またTABOO巡査に会える日が来るまで。



相葉ちゃんへ。
メンバーが「相葉くんの悪口を言っている人を見たことがない」と言うように、相葉ちゃんのあたたかい人柄は嵐の持つ優しい雰囲気に必要不可欠なものだったと思うし、私も救われていました。
相葉ちゃんはきっと(あなたに限らずですが)、もし可能ならば今すぐにでも嵐としてもう一度走り出したいと思っているんだろうなあと、なんとなく感じています。
けれど、相葉ちゃんが休止前に何度も私たちに見せてくれた涙が、やりきれないファンのことを救っていた部分もあったと思います。
2004年に「トップになろうって夢絶対叶えようね」「嵐でよかった」と言っていたあなた。その夢が叶って、そして今でも同じように、「嵐でよかった」と心から思ってくれていたことが、私は嬉しくてなりません。
晦日、いつもの元気溌剌な「嵐の相葉雅紀」ではなく、素の相葉雅紀で自分の気持ちを話してくれたこと。泣きながら「あなたたちが嵐のファンで本当によかった」と言ってくれたこと。涙が出るくらい、本当に嬉しかったです。
「僕を除いた4人が、人間としてトップ」だと言っていたけど、当たり前のように相葉ちゃんも含めた5人が嵐で、トップです。
今はまだ心の整理がつかない、と言っていたけれど、あなたが穏やかに時を過ごして、そしていつかまた相葉ちゃんの「もう一度嵐で」という願いが叶うことを、心から願っています。
あなたがいつまでも、あのひまわりみたいな優しい笑顔でいられますように。



にのへ。
常に物事を俯瞰で見て、自然に場をいちばん良い方向へと持っていってくれていたにの。たまに怖くなる時があるくらい、本当に場やメンバーのことをよく見ているなあと思っていました。
「メンバー以外の人は信用していないし、信じる必要もない」と言っていたけれど、どう見ても偏屈なにのが、嵐でいる時だけに見せる柔らかい笑顔が大好きでした。特に、相葉ちゃんを弄っている時の自然な微笑みが大好きでした。
水中ピーマンで頑張りすぎた相葉ちゃんのことを怒ったり、24時間テレビで体調のことで4人に迷惑をかけてるなんて思わなくていい、「それが嵐だから」と相葉ちゃんに言ってくれたり。いつも頑張りすぎるみんなのストッパーになってくれてありがとう。
それまで頑なに心中を語ることを避けてきたにのが、最後の日に、ファンの前でだけ「まだまだ突っ込みたかったし、もっともっといじりたかった」「嵐を取り上げられちゃうような気がして……」という本音を漏らしてくれたこと、とっても嬉しかった。
そして、秋にアメリカで予定していたライブも、北京でのライブも、有観客でのアラフェス公演も、冬のラストツアーも、その他私たちが知らない嵐の最後を彩る数多のプロジェクトが、夢のまま消えてしまったこと。
ファンが最後にもう一度嵐に会うことがついに叶わないまま、活動休止を迎えてしまったこと。
どうしてもやるせなくて、けれど誰も悪くなくて今でも泣きたくなってしまうけど、にのが「それらも含めて嵐の歴史」だと言ってくれたことで、少しだけ救われた気がしています。ありがとう。
あなたは個人の仕事は全て嵐に還元するためにやっている、と常々語っていたけれど、これからは一人の二宮和也としての活躍を楽しみにしています。
そして、「申し訳ない」などと思わずに、どうか幸せになってください。





潤くんへ。
あなたはずっと、「嵐は僕の夢」だと言ってたね。
その夢を叶えるため、嵐のためにロクに眠りもせずに日夜走り回って、時には単身海外に行ったりなんかもして、一人のクリエイターとして最高のエンターテイメントを届けようとしている姿。本当にかっこよかった。
そして、あなたは私たちファンに「一緒に同じ夢を見てもらいたい」と、いつもいつも優しい言葉で寄り添ってくれました。
あなたほど熱く、そしてファン思いな人を、私は他に知りません。
SNSを頻繁に見ているというあなたは、時には心無い言葉も目にしたと思います。あなたの言葉からその片鱗を感じる度に胸が痛んだけれど、でもそんな自分への中傷なんてどこ吹く風といったふうに、ただ嵐のことだけを考えて、昨日までずっと走り続けてくれましたね。
晦日、東京ドームの天井に映し出されたファンからのメッセージを、あなたはずっとずーっと見上げてたね。
「信じられないほどの素晴らしい夢の数々を一緒に見られて幸せだった」と、震える声で懸命に言葉を紡ぐあなたの、キラキラとした表情と我慢できなかった涙を、私は一生忘れません。
潤くんの言うように、これからも壁にぶつかった時は嵐の曲を聴いて、元気を貰おうと思います。
いつでもかっこいい潤くんが、お兄ちゃん達にいじられている時に見せる末っ子らしいかわいい笑顔が、本当に大好きでした。
まずはしばらく、ゆっくり休んでください。また潤くんの輝くような笑顔が見られる日を、私もゆっくりと待っていようと思います。
そして、いつかあなたの言う「夢の続き」ができる日が来ることを、ずっとずっと待ってるね。
誰よりも嵐のことを愛してくれたあなたのことが大好きです。





大野くんへ。
私が人生で初めて好きになった人、と言ったら重いけど、でも事実なんだから仕方がない。
あの時大野くんの歌とダンスに惹かれたから、今の私があります。
大野くんは、昔からずっと自分のファンをとっても大切にしてくれてたね。
コンサートの時、自分のファンのリクエストに必死で応えた後に、「あなたにやったんだよ」と指を指してくれるところが大好きでした。
大野くんの「ファンの子」でいられた14年間は、本当に幸せでした。
普段とは少し違う落ち着いたトーンでの、最後の挨拶。
「今日まで支えてくれて、今日まで守ってくれて、本当にありがとう」と言ってくれたことが、心から嬉しかった。きっと大野くんは自分のファンに傷つけられたこともたくさんあったと思うけど、それでもそう思ってくれているということが、幸せでした。
そして、「では、またね」と言ってくれたこと。これまで「また会える」可能性を思い起こさせるような言葉を一切使ってこなかったあなたが、初めて語った言葉。
涙が溢れました。
今まで私は、その可能性を信じることがあなたを追い詰めることになるんじゃないかなと、ずっと思っていたけど。身勝手だけどその言葉を信じて、これからを生きていこうと思います。

21年もの間、「嵐の大野智」でいてくれて、本当にありがとう。
嵐の番組は自分が出演しているから見たくないけど、メンバーの番組は自分が出ていないから見ると言ったり、本当は人前が苦手で恥ずかしかったり。そんなあなたがこんなにも長い間アイドルでいてくれたから、私の人生は今とっても楽しいものになっています。
「明日からは自分の時間を大切に生きてみる」と言っていたけど、今は何してますか。釣りかな。絵かな。それともマイブームのキャンプかな。
これまで嵐のために、ファンのために、「人のため」に生きてきた人生だったと思うけど、これからはどうか、自分のために生きてください。
私の人生を救ってくれて、幸せにしてくれて、本当にありがとう。
どうか幸せになってください。
これまでもこれからも、ずっとずっと、あなたのことを愛してます。






最後に、これまで言わなかったこと。



本当は、活動休止なんてしてほしくない。
これからもずっとずっと、彼らが40代になっても50代になっても、相葉ちゃんの言う「落ちていく姿」を一緒に見届けたかった。
会場が5大ドームからアリーナになっても通い続けるつもりだったし、実際「アリーナにも体育館にも行こうね!」と、2年前まで母と話していた。
「嵐が去った後」の「虹のかかった美しい空」なんていらない。暴風雨が吹き荒れている場所に、私はずっと立っていたかった。
徐々にその時が近づいてくるにつれて、5人がほんの一瞬だけ寂しそうな表情を見せるようになって。「あなたたちが決めたんだから、そんな顔しないでよ」と思った。でも本人たちが「俺らが決めたんだから寂しがる権利なんかない」と言っているのには、そんなことはない、という相反する気持ちを抱いて。




でも、嵐は最後までとことん私の大好きな、優しくてあたたかくて仲良しな嵐のまま、幕を下ろした。

私も、この大切な思い出を宝箱にしまって、いつかまた大好きな5人に会える日が来ることを、ずっと待っていようと思う。






あの時、5人と出会うことができて、本当に良かった。
5人と一緒に夢を追いかけた日々は、私の人生でいちばんの財産になったし、一生の宝物です。
嵐は、私の人生を素晴らしいものにしてくれました。
いくら伝えても伝えきれないくらいに感謝しています。
本当に、ありがとう。

私にとって最初で最後の、唯一無二のHeroで、トップアイドル。



これからも、ずっとずっと永遠に、5人のことが──嵐のことが大好きです。
世界でいちばん、愛しています。


いつかまた虹の橋で巡り合って、同じ夢が見られる日が来ることを願って。



2021年1月1日





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「ありがとう 君といた すべての奇蹟に」

彼は、私が“人生で初めて好きになった人”だ。



私が彼に出会ったのは、9歳の頃だった。

母が「あんたちょっとはこういうのに興味持ちなさい」と私に渡した、嵐のアルバム。
私はその時、嵐というグループの存在すら知らなかった(何故かHey!Say!JUMPとKAT-TUNのことは知っていた)。
当時の私は芸能人に全く興味がなく、誰の曲だろうと思いながら塾の行き帰りに毎日アルバムを聴いていた。

そんなことをしているうちに、私は嵐の曲をどんどん覚えていった。




嵐のメンバーの顔を覚えた(初めて認識したのは、やはり当時の「王道」といえる櫻井翔であった)。
嵐のメンバーそれぞれの性格やキャラクターを覚えた。
曲を聴いて、誰が・誰と歌っているのかを聴き分けられるようになった。
好きな嵐の曲ができた。
嵐が出ている番組を見るようになった。
嵐が載っている雑誌を買うようになった。
嵐のライブDVDを買うようになった。





気がつけば、私は毎日嵐の曲を聴いているうちに、嵐のファンになっていた。
こんなにも何かに対して熱烈に“好き”だという感情を抱いたのは、まさに生まれて初めての経験だった。




そして、そんな中でも私が特に好きになった所謂「担当」が彼だった。
嵐の曲から彼らのファンになった私にとって、そうなることは必然のことだったのかもしれない。
子どもだった私にも分かるくらい桁違いに卓越したダンスの技術を用いて、かつ透き通るような声で伸びやかに歌う彼と、バラエティの収録中に寝てしまう彼が同一人物だとは思えなくて、だからこそ私の目にはステージの上での彼がキラキラと輝いて見えた。

彼が復讐鬼と化した弁護士を演じたドラマ「魔王」を見て、私は更に強い衝撃を受けた。
over the rainbow」が流れるオルゴールを前に、美しく哀しい涙を見せる彼。真っ赤に染まった部屋で、ターゲットの写真を睨みつける彼。女性に抱きしめられ、狼狽えるような仕草を見せる復讐鬼であるはずの彼。
普段テレビで見る彼の姿はどこにもなくて、成瀬領という一人の男がそこにいた。

約10年前に放送された「ひみつの嵐ちゃん!」にて、ゲストの女優が彼のことを「ギャップ王子」だと称していたことがあったが、まさにその通りだと思った。
周囲から「天才」だと言われるほどの才能を持ち合わせているにも関わらず、普段は一切その素振りを見せず、全く驕らず、「リーダーはあだ名」だと自身を弄る。
そんな彼の様子が、当時まだまだ子どもだった私には、月並みな言葉だがとてもかっこよく見えたのだった。



中学2年生の時、初めて嵐のコンサートに当選した。
それまで私は嵐はテレビの向こう側の人だという認識だったが、私の前に現れたのは紛れもなく私と同じ人間で、「嵐は生きてるんだ」と改めて実感させられた(同行した母によると、嵐が登場した瞬間私は「嵐ってほんまにおるんや!生きてるんや!!」と大興奮していたらしい)。
当時のソロ「two」の大サビ前、約6秒程も続く彼の超ロング&ハイトーンがヤフオクドームに響きわたった瞬間。5万人もの観客が一気に息を詰め静寂が広がった刹那、今度は5万人の感嘆のため息が会場を埋め尽くしたことを鮮明に覚えている。
2012年12月8日に見たあの景色を、私は恐らく一生忘れないだろう。





彼はよく「何もしていないリーダー」だと自分のことを称し、また第三者からもそう言われている場面をしばしば見かける。
彼は場を仕切ろうともしなければ、メンバーに支持を出したり注意をしたりもしない。
一つ下の彼や、末っ子の彼の方が余程リーダーらしいと世間的には思われているだろう。

私も、正直じゃんけんで決められたリーダーという職に、彼は然程執着していないと考えていた。
最年長のリーダーとして他のメンバーを後ろから見守り、包み込むのが彼だと思っていた。




けれど、それは少し違うということを最近知った。

嵐のドキュメンタリー・voyageの彼がメインとなる回で、彼はこう言っていた。


「リーダーが辞めるんだよ?」
「この気持ちは俺以外は誰も分かんないと思うよ」
「ずーっと嵐のことしか祈ってないの、俺」


彼は、嵐のリーダーとしての重い責を20年間背負って生きてきたことを知った。
相葉さんの「リーダーはグループに全てを捧げている、自分なんか端の端なんだ」という言葉に思わず涙する彼の表情から、彼がこれまで背負ってきた私には想像もつかないくらい重いモノが伝わってきて、あまりにも胸が苦しくて堪らなかった。
お茶の間ではやる気のないキャラクターを演じ、けれど心では嵐とそのメンバー4人のことをずっと案じて、彼なりにグループを引っ張ってきたのが彼だった。



彼は、努力を見せない人だ。

世間は彼を「天才」だと言うけれど、私は彼の技術を才能だけで語ってほしくはないと思っている。
裏ではずっと自主練をして、そうして積み重ねたスキルを何でもないように観客に披露するのが彼だ。
勿論、彼には歌やダンスの素晴らしい才能が備わっていることは間違いない。
けれど、その上に血の滲むような努力を重ねて、人を感動させるパフォーマンスを魅せてくれているということを、私は忘れずにありたい。
嵐を旅する展覧会で見た、一人で黙々とダンスの練習をする彼は、誰よりも泥くさく、そして誰よりも輝いて見えた。
彼の個展「FREE STYLE」では、その膨大な作品の数とパワー、そして作品に込められた想いに圧倒され、思わず手足が震えた。

彼は、昔も今も、努力の人だ。



そんな人なのに、彼はグループで歌う時は自分を決して全面に出そうとはせず、あくまで「5人」のハーモニーを奏でることを重視しているように見える。
彼ほどの人ならば単体でも充分注目を浴びることができるはずなのに、常に「5人で」ということにこだわり続けている。


彼は嵐のリーダーとして、嵐のことを、メンバーのことを心から想っていることが、彼自身の言動から伝わってくる。
「なんて人たちなんだ」「自分で言うのもなんだけど、良い5人だね、本当に」「奇跡の5人だよ」と言う彼の表情は、まさに心から愛おしいものを見つめる時のそれなのだ。




その笑い方 その話し方 その全てが温かな仲間は きっと他にいないだろう だって…そんなやつは他にいないんだ もう
(嵐「5×20」)




嵐のためなら、メンバーのためならどんなことでもできると語る彼は、紛れもなく国民的アイドルグループのリーダーだった。

彼は、愛の人だ。




そんな彼が、「命がけ」で決断したという選択。


私は、これまでずっと嵐のために生きてきた彼に、今度は自分のために生きてほしいと思っている。
本当は人目が多いところが苦手だという彼が、「4人が幸せならそれでいい」と言う彼が、彼らしく過ごせる場所で、彼の大切な人と、幸せになってほしいと心から思っている。

宮城でのアラフェスで彼が見せた涙が、私は今でも忘れられない。5×20のオーラス公演で「そんなこと許されないと思っていた」と、思わず見せた涙も。
そして15周年の時に、彼がハワイで見せた涙も、これまで一度も忘れたことはない。

嵐として、嵐のために生きた人。







大野くん、お誕生日おめでとうございます。


13年前にあなたに出会ったあの日から、私の人生は180度変わりました。
私は人生の半分以上の時間を、あなたのファンとして過ごしています。
あなたに出会っていなければ、絶対に今の私はいないと言い切れます。
私の人生を素晴らしいものにしてくれて、本当にありがとう。
私の人生に彩りを与えてくれて、本当にありがとう。
 

あなたの歌に惹かれて、あなたの才能に惚れ込んで、あなたを人として好きになれた私は、この世で一番幸せなアイドルのファンだと思っています。
コンサートで、いつもファン一人ひとりと目を合わせて、君だよ!と指を指してくれる大野くんが大好きです。
“ファンの子”を大切に、ということを繰り返し言葉にしてくれる大野くんが大好きです。
嵐のため、メンバーのため、そのファンのためにすべてを注いできたという大野くんが大好きです。
 

あなたのファンになれて、本当に良かった。
大野くんは昔も今も、そしてこれからも、私にとって一番のアイドルです。


どうか自分のために、自分の人生を生きてください。
これからのあなたの人生が、幸にあふれたものになることを、心から願っています。
2021年からもずっとずっと、世界でいちばん愛してます。


2020年11月26日








ひらひらと花が舞う頃
旅立ちを決めた思いは
今 誰のためでもなくて
思い出を抱きしめながら
僕たちは歩いてゆくよ
今 瞳の奥に 輝く夢は
いつでも いつまでも
いつでも いつまでも……
(嵐「season」)

「瞳の奥に輝く夢はいつでもいつまでも」

 

私は、彼のことを世界でいちばんかわいらしい人だと思っている。


恐らく彼のパブリックイメージは「クール」「キザ」「イケメン」といった類のものが多いだろう。どこか鼻につく、と思っている人もいるかもしれない。それは、所謂“かっこいい”人へと数年前にキャラクター転換したことが功を奏しているとも言える。

けれど、彼のファンとして彼自身の人生を追っていると、前述したように「かわいい人だな」という感想を抱かずにはいられない。

 

誤解されやすいが、彼は所謂天才ではない。

むしろ、初めて対峙した瞬間から全力でぶつかった結果、あえなく玉砕するパターンが多い人だと思う。


そして、彼は決してそこで「諦める」という選択肢を取らない人だ。

全力でぶつかって見事に失敗して、全力で「クソッ!」と悔しがる(それこそ周囲の人間が「そんなに?」と苦笑いしてしまいそうな程に)。

次に何がいけなかったのかを分析して、改良を加えていく。

彼はその作業をひたすら繰り返す。

そうしてついに成功した瞬間、彼はまた全力で「やった!」と満面の笑顔でもって成功を喜ぶのだ。

 

彼の不器用で真面目、かつ純粋な性格は、彼がデビューした当時から一貫して変わっていない部分のように感じる。

そして、メンバー4人もそうした彼の「努力家」という月並みな言葉では収まらないほどにストイックな性格を好ましく思っているのだろうなということが、端々の言動から見て取れる。

(そして、客観的に見るとどこからどう見てもこだわりが強くて面倒くさい人を、年上の4人が心底面白そうに弄っている時の彼の笑顔が私は好きだったりする。)

 

そうした彼の真面目な性格は、彼が手掛けるステージにも如実に現れているように思う。

ツアーを回っている最中にも並行して次のツアーのことを考え、「どうすればお客さんに人生最高の時間を過ごしてもらうか」という一点だけを胸に夜遅くまで調整を重ねる。


彼は、嵐が嵐として最も輝くステージを作り出す天才だと私は思っている。

言わずと知れたムービングステージやフリフラ、スピーカー等の機材面は勿論だが、それ以上に各メンバーのファンが思い描く最もかっこいい彼、を演出するのが本当に上手い。

展覧会での彼の部屋で、セットリストやステージの変更点がびっしりと書き込まれた直筆のメモを見て、私はあの夢の空間が完成するまでの彼の途方もない熱量を正面からガツンとぶつけられたように感じた。

嵐のファンは勿論、「5人のファンではない人」にも楽しんでもらえるコンサートを作るためにドームのスタンド席に座ってステージを眺める彼の横顔は、私の目には他のどのアイドルよりも泥臭く、どのアイドルよりも輝いて見えた。

 

私は、かつて彼が創り出した3時間に心の底から魅了されたあの瞬間があったからこそ、今の自分がいると本気で思っている。

私の人生に彩りを与えてくれたのは間違いなく5人であり、5人が輝くステージであり、そのステージを作り出す彼自身なのだ。

 

 

そして、私は何よりも、彼自身が嵐のことを、4人のことを心から愛しているところが大好きだ。

まだ彼らが鳴かず飛ばずで、「国民的アイドル」になることなど夢のまた夢だった頃。

 


一人で走るトップランナー

横に並んで走る道

そのとき誰が傍にいるだろう?

きっと5人でいるだろう

 

 

彼は自身の想いを赤裸々に綴ったソロ曲で、このような歌詞を歌っていた。

歌詞というには余りにも単純で、稚拙で、けれど真っ直ぐだった。

 

そして、その想いは今でも全く揺らいでいないのだろうな、とアイドルとして生きる彼を見ていると強く感じさせられるのだ。

 

 

彼は20周年ライブで、「この5人でまだまだ見せたい景色がある」と言った。

「世界に嵐巻き起こしたいと思ってます。これ本気だからね」と、メンバーと会場のファンを愛おしそうに見つめながら、力強い表情で話していた。

 

「夢のような、輝いた日々」の先に「見せたいモノがあるんだ。」と、

「これから先も一緒に同じモノを見てもらえたら」と、

「同じ時間を過ごせたら」と、

そう綴る彼は誰よりも嵐のことを一番に想っていて、この5人で絶対に叶えたい夢の景色があるのだろう。

 

 

その笑い方 その話し方 その全てが温かな仲間は

きっと他にいないだろう だって…… そんなやつは他にいないんだ もう

数え切れぬ夢たち叶った “5”is my treasure number 

横に並んで掴んだ手と手 今日も未来(あした)もsmile again again......

(嵐 「5×20」)

 

ゆずれない想い 誰も邪魔できない

誰よりも僕ら自身が溺愛

君の愛が混ざった色を

僕らが塗って描いてく

そこに君と僕らがいて

夢が現実となる

(嵐「スケッチ」)

 

 

深夜番組のスタジオの隅で小さく円になって笑い合っていたかつての彼らも、

国民的アイドルとして天皇陛下の前で奉祝曲を歌う今の彼らも、

根の部分は何も変わっていないということを、

彼が嵐と4人のことを語る時の豊かな表情は伝えてきてくれるのだ。

 


願わくば、彼が5人で見たいと望む景色が実現されますように。

彼が最後の年のために用意してきたモノの多くが、未発表のまま幕を閉じるかもしれないことは本当に悔しいけれど、

けれど、どうか彼が愛する嵐が、彼にとって美しい思い出のまま、

彼自身の宝箱にそっとしまいこまれますように。

 

どんな時でもファンのことを想ってくれた彼にとって、

この5人で駆け抜けた日々が心から幸せなものでありますように。

 

 

  

 

松本潤さん、お誕生日おめでとうございます。

 

貴方が嵐のことを話す時の、子どものようにキラキラとした綺麗な瞳が大好きです。

5人で進む未来に向かうワクワクを抑えきれずにこぼれる、かわいい笑顔が大好きです。

いつでも私たちファンの心に寄り添い、嵐のことを一番に考え、嵐を夢の方向へと引っ張ってくれる背中が大好きです。

どんな時でも“嵐”の“松本潤”でいてくれるところに、私はいつも救われています。

本当にありがとう。 

 

これからの四ヶ月間が、貴方にとって何にも代えがたい素晴らしい日々となることを、心から願っています。

そして、2021年以降も、新たな船出へと漕ぎ出す貴方の背中に、どうか着いていかせてください。

 

貴方のファンでいられる私は、世界でいちばん幸せなアイドルのファンだと胸を張って言えます。

小学生の頃に出会ってからずっと、潤くんは私の光であり希望です。

ありがとう。ずっとずっと愛してます。

 

 

2020年8月30日

 

 

 

 

 

 

僕ら交わした声が消えないのならば

誓えるよこの愛を 100年先も

笑顔が咲いてますように

(嵐「5×10」)

 

「1年に一度の魔法、特別な日」

 

「あの人のどういうところが好きなの?」と他人に聞かれた時、私はいつも決まって言葉を詰まらせてしまう。
なぜなら、彼の好きなところを考えれば考えるほど、ああいうところが好き、こういうところが好き、という考えが際限なく湧き出てきて、脳内がごちゃまぜになってしまうから。
だから、私はそのような質問を受けた時には大抵、「どこまでも人間らしいのに夢を見せてくれて、“努力は人を美しくする”を体現する生き方をしているところ」という風に答えている。



以前このブログでも書いたことがあるが、彼は“アイドルだけどアイドルらしくない、けれどやっぱりキラキラとしたアイドルな人”だと思う。
ファン以外の人が聞くと「どっちだよ」と言いたくなるかとは思うが、彼を形容する言葉としてはやはりこれが相応しいのではないか、と私は考えている。


彼は不思議な人だ。
私たち“鑑賞する側”の人とは一線を画した世界で生きていて、何十万人ものファンを魅了し黄色い歓声を浴びる“鑑賞される側”の立場にいるにも関わらず、常に私たちの身近に寄り添ってくれているような、痛みを分かち合って共感してくれるような、そんな感覚を抱かせる人。
テレビの向こう側から、こちら側に目を合わせてくれるような錯覚を起こさせる人。

多くを語らないことで常にステージ上のアイドルであり続ける人がメンバーにいる一方で、彼はそれとはまた違ったアプローチで私たちファンと向き合ってくれる。



「どこかで生きてる誰かに悩んで」
「どこかで生きてる誰かに頼って」
「どこかで生きてる俺も誰かで」
「どうすりゃいいの」



歌を通してこう語りかけてくる彼は限りなく人間くさくて、そしてそんな彼を見ていると私は生きる勇気を貰えるのだ。
何度躓いても、挫折しても、がむしゃらに足掻いて前に進もうとする彼の姿に、月並みな言葉ではあるが「私も頑張ろう」と思えるのだ。



彼はこれまでの人生で、何度も挫折を繰り返してきたという。


褒められた経験がほぼなかったという子ども時代。
何とかデビューが決まりこれで一生安泰だ、と思っていた矢先に、「お前はまだNEWSじゃない」と突きつけられた16歳の時。
そこで芽生えて、その後長い間消えることのなかった猛烈な劣等感。
芽生えた劣等感は高いプライドに変わり、本人曰く「当時はかなり屈折していた」という。
「一番怖いのは人間」「人が怖い。対人恐怖症なんです」と自嘲気味に語り、当時のメンバーに「そんなことを言うなんて悲しすぎるし、俺らも悲しい」と言われていたあの時。
次々とメンバーが脱退し、ついにグループの存続までもが危ぶまれる事態となったあの時。
台本にはグループ名に線を引かれ、「苺のないショートケーキ」「具のないおでん」と揶揄われ、「自分にとって最後のステージはもう終わってたんじゃないか」と、電話口で泣いていたというあの時。
そこで死ぬ気で足掻いて育て上げた、唯一無二の最強の武器。



何度転んでも、何度でも這い上がる。
彼のがむしゃらな生き様は、まさにその言葉がぴったりだと思う。
途方もない努力を形にした彼自身が「生まれた日から今日までの僕が見てる」という歌詞を歌うことで、その曲にはとてつもないエネルギーが宿る。
デビュー当時から1番変わったのは彼だとメンバーが口を揃えて言うのも、彼が自分の可能性を見出そうと藻掻く姿を、17年以上一番近くで見続けてきた故に出た言葉だろう。
「努力は人を美しくする」を体現している生き方をしている彼のことが、私は好きだ。



そして、そんな彼なら、これからの未来を美しいものに開いてくれると私は信じている。
「その先にあるものが美しいと信じて、荒野を走り続ける」と宣誓した彼の背中を、微力ながらいちファンとして全力で押してあげたいと、心からそう思っている。


何も感じていないわけがないし、ここ2ヶ月程のメールを読む彼の声色は心なしか暗かった(彼は気分の良し悪しが非常に声色に出やすい)。
6月19日にFC宛に送られてきた動画内での、膨れる感情を抑えるように息を呑む彼の表情が、私は今でも忘れられない。 
自分の言葉が無力だと淡々と綴る今週のNEWSRINGを読んで、私は胸が締め付けられるような想いになった。
けれど、NEWSを守り続けるとはっきりと言葉にしてくれた彼なら、私たちの想いを小さな背中で背負えるだけ背負って前に進み続ける、と言ってくれた彼なら、この先の未来が明るいものとなるように尽力してくれるはずだ。



でも、彼は責任感が強くて、少しだけネガティブで自己評価が低い部分がある人だから、
刃を向けてくる人をその刃ごと抱き締められる人でありたいと言う人だから、
グループを守っていくという重責に押しつぶされてしまわないか、ベッドの中で泣きそうになって眠れなくなって朝が来そうな夜、がまた彼に訪れていないか心配になることもある。


そんな時は、彼に生かされ、勇気づけられている人がこの日本には数え切れないほど沢山いるということを思い出してほしい。
そして、彼のファンにとっては、彼が幸せで、自然に笑っていられることこそが、他の何にも替えられない喜びであるということを知っていてほしい。

「僕らの手を握っていて」と彼が言うように、私も彼の手を握っていたい。
「そのぬくもりを忘れないで」と彼が言うように、彼にも私たちのぬくもりを感じていてほしい。






加藤シゲアキさん、お誕生日おめでとうございます。


小学生の頃に仕事を始めて、そして今の今までアイドルでい続けてくれていること。当たり前だとは思っていません。本当に感謝しています。
あなたが懸命に生きる姿に、あなたが生み出す曲に、あなたが紡ぐ言葉に、私は何度励まされたか分かりません。


あなたに出会えたことで、私の人生は輝かしく、素晴らしいものになっていると胸を張って言えます。
あなたのファンでいられて幸せです。
あなたのファンでいられることが、私の誇りです。


かつての加藤成亮さんのことも、今の加藤シゲアキさんのことも、そしてこれからの加藤シゲアキさんのことも、心から大好きです。
どうか、あなたの人生が素晴らしいものでありますように。
あなたが幸せでありますように。






いつかあの早口で33kgオーバーの鮪を釣ったと興奮気味に話してくれる日を、心から楽しみにしています。
大好きな音楽や映画、料理、カメラ、ギター等々を楽しみながら、たまには釣りに行ったりなんかして、心は元気でいてください(小山さん、勝手に言葉借りました)。


2020年7月11日








どんな夜だって越えられるから We'll be together
見上げた先に光はある with you forever
希望を手放さないで 絶望に手を出さないで
僕らの手を握っていて そのぬくもりを忘れないで
約束しよう
(NEWS「クローバー」)

大好きだったあなたへ

 


私はNEWSの手越祐也くんが大好きだ。


初めて行ったNEWSのコンサート
大阪城ホールのセンターステージでキラキラと輝いていた彼の太陽のような笑顔を、私は今でも鮮明に思い浮かべることができる。
MCで彼が「俺はステージとライトが大好き!楽しい!」と口にした言葉は、きっと彼の心の底から湧き出た本心なのだろうなと、そう思わせられるような笑顔だった。

彼のソロ曲では、その類を見ない超ハイトーンボイスと美しいビブラート、そして会場に響き渡る圧倒的な声量に、私は当時特段ファンではなかったにも関わらず涙ぐんだ。
歌声を聴いて意図せず涙が流れたのは、大野智さんの生歌を初めて聴いた時以来だった。

まさに夢のような時間を過ごし、私はその日からNEWSのことが、手越くんのことが大好きになった。



コンサートの際には、毎度手越くんのグッズは全て購入していた。
実際に見る手越くんはテレビ越しで見る何倍も輝いていて、キラキラしていて、まるで天使みたいだと思う瞬間も多々あった。
彼がファンに向けてくれる笑顔は本当に眩しくて、私はその笑顔を見ると日々の悩みや疲れなど吹っ飛んでしまうような心地になった。


けれど、私が何より一番好きなのは、やはり手越くんの歌声だ。
女性並みのキーで高らかに歌い上げる手越くんの歌声は私の脳髄を揺さぶり、彼のソロ曲では訳も分からないまま何故か泣けてくる、というのが常だった。
バラードでは歌詞に想いを乗せながら柔らかく、優しく歌い上げ、逆に激しい曲調のナンバーでは圧倒的な歌唱力で会場を支配する。
私は大阪城ホールで初めて彼の歌を聴いたその瞬間から、彼の歌声に魅了され、そして心底惚れ込んでいた。


デビュー当時は知名度も人気も全くなかった彼が、並々ならぬ努力を重ねてグループの顔にまで上り詰めたこと。
一般的にはチャラついたイメージの強い彼だが、根は真面目で共感した人に対してはとても親身になる人であること。
自分は強い人間なんだ、と強がりながらも、自分の信じるものに向かって、ひたすら自身を磨き続けることができる人であること。

私に持っていない部分を沢山持っている彼は、私の目にはとても輝いて見えた。
手越くんは、私の太陽だった。





6月19日の18時半、帰宅途中の電車内で事務所からの報告を見た。
淡々とした文書一枚で報告された内容が信じられなくて唖然としていたら、メールボックスにNEWSのFCからのメールが届いていた。
URLを開くと、「NEWSよりファンの皆さまへ」と題された、手越くん以外の3人のメンバーからの動画が掲載されていた。
私の脳は現実を受け入れることを拒否していて、電車を降りて呆然と駅構内を歩いたことを覚えている。

小山慶一郎 加藤シゲアキ 増田貴久」と、3人分の名前しか書かれていない動画を一生見たくなくて、けれど絶対に見なければいけない動画だということも分かっていた。


思いきって再生ボタンを押すと、
そこには今にも泣き出しそうな顔で、
しゃくりだしそうなのを留めようと息を呑んで、
これまで聞いたことのないような震える声で、
「4人のNEWSを守りきることができませんでした」
「これからは3人のNEWSを認めてもらえるように頑張ります」
「NEWSを守っていきます、守ってみせます」
と、深く頭を下げるメンバーの姿があった。
正直、ファンには絶対見せてこなかった、見せるべきではない顔をしていた。

それを見ながら、私は「ああ本当に3人になってしまったんだな」と、じわじわと目の前の現実を実感し始めていた。

メンバーカラーの4色が入った四つ葉のクローバーのネックレスを身に着けて、彼のパートを空けて、叫ぶように歌う3人のライブを見て「彼は絶対に戻ってくる」と思った次の日のことだった。

 



今回の件に関しては、「ファンならこうあるべき」といった正解/不正解のようなものはないと思っているし、他人に自分の考えを押し付けたくはないと私は考えている。
きっと誰により思い入れを持っているか、という立場によっても意見に違いが出てくると思うし、抱えている思いは人の数だけあるだろう。
そう前置きした上で、私が感じたこと。




私は今でも、彼がSTORYをやり切らないまま去ってしまったことに憤りを覚えている。
「事務所があのタイミングで辞めろと言ったから仕方がない」「彼だってSTORYをやりたかった」、という意見があることは分かっている。
様々な思惑やタイミングが重なった結果こうなってしまったことは、私も重々理解しているつもりだ。


けれど、彼も含めたメンバーや何百人をも越える数のスタッフが4年間、いやそれ以上の時間をかけて、構想を練りに練って、心血を注ぎ込んで作り上げた、まさに彼らの血と汗と涙の結晶とも言える作品の最終章を、彼自身が投げ捨てた事実に変わりはない。
NEWSとそのファンにとって、STORYがどれだけ大切なものであったかを誰よりも分かっていたはずなのに、彼がいとも簡単にそれを放り出してしまったことが、私はとても悲しい。


もし当初の予定通り彼がSTORYの後に退所していたら、私は恐らく彼の新しい門出を素直に祝っていただろう。
グループを抜ける権利も、事務所を辞める権利も彼には当然あるし、夢のために去ることは私は悪いことだとは全く思っていない。
(実際、随所での彼自身の発言から、私は何となくSTORYが終わったら彼はいなくなってしまうのではないかと薄々感じていたし、ファンの間でも何となくそういった空気は流れていた、ように思う。)


ただ、自分の夢を追いかけるばかりではなく、もう少しだけ身の回りの人達のことも省みようとしてほしかった。
彼は会見で、「アイドルにとって30代前半は一分一秒が大切」だと言った。
確かにその通りだ。
そして、それは彼だけではなく、NEWSのメンバー3人にも当てはまることだ。

ここ数年間、STORYに向けて彼らが注いだ熱量はとてつもないものであったと思うし、本作が彼らにとって一つの大きな分岐点であったことは間違いないだろう。
「STORY」「NEWSTORY」「クローバー」等の楽曲を聴いていると彼らの覚悟や熱量、想いが痛いくらいに伝わってくるし、集大成にふさわしいアルバムだと私は初めて聴いた時に感じた。
メンバーだけでなく、ファンからのイラストやメッセージ、音声等をふんだんに使って皆で作り上げた、まさに宝物のようなアルバムだった。
いわゆる「毎年やっている普通のツアー」ではない、間違いなくNEWSとそのファンにとって、グループの色や方向性すら変えてしまうような、とても大きなプロジェクトだった。


それを、こんな形で、中途半端に途絶えさせてしまった彼に、何か思うところがあっても許してほしい。
4人のシナリオのフィナーレを、彼曰くたった2.3時間考えただけの決断で、こんな形で終わらせてほしくなかった。
加藤さんと増田さんが「これは勝った」と嬉々とした声色で話していた4人のSTORYの物語を、どうしてもこの目で見たかった。
ただのファンの我儘だと分かった上で言わせてもらうと、彼には事務所に頭を下げてでも、STORYだけは美しい形で完結させてほしかった。


脱退から約一週間後の配信で、彼が投げ捨てたSTORYを、3人はどうにかしてやり遂げたいと言ってくれた。
私はそれが心底嬉しくて、泣いた。
NEWSのSTORYは、ツアーの完全中止が発表された時点で完全に潰えたと思っていたから。
いつになるかは分からないけど、もしかしたら夢物語のままで終わってしまうかもしれないけど、私たちのSTORYはまだ続いているんだと思えた。
けれど、ゲネプロまで終わっていたというSTORYをまたイチから編み直すことは、メンバーとスタッフにとっては途方もない作業だろう。
物語は?構成は?曲は?歌割りは?衣装は?会場は?と、言い出したらキリがない。
何故なら一つの完成していた作品を、もう一度バラバラにして再び繋ぎ合わせるようなものだから。

また、今後仮にSTORYが完成したとしても、それは当初3人がファンに見せたかったものとはどうしても形が変わったものになってしまうだろう。
3人の手元には壊れたSTORYだけが残され、完璧だったはずのSTORYを私が見ることは一生叶わないのだろうと思うと、どうしようもなくやるせないのだ。





また私は何より、彼が17年もの間苦楽を共にしてきたはずのメンバーと、まともに話し合いもせずに辞めてしまったことが一番ショックだったし、悲しかった。


3月下旬の生放送時の後に退所の意向を伝えていたとはいえ、その時点ではメンバーは「それでも自分たちは手越と一緒にこれからもやっていきたい」と言っていたという。
そこから連絡が一切取れなくなり、私たち一般人やメディアに発表するほんの数日前に、退所の事実を事後報告のような形で告げられたメンバーの心情を考えると、胸が張り裂けそうになった。

5月下旬、加藤さんは「あらゆる思いが、彼に届くことを願っています。」と、手越くんの活動自粛を謝罪するブログの中で述べていた。
私はその時点でもしかして、と思ってはいたが、まさか本当に、自分たちの思いが彼に届くことを願うしかない状態にあったなんて。

そして、その思いはついぞ届くことはなかった。
会見での「メンバーも数日前に退所することを知ったと思うし、突然僕がいなくなったと感じていると思う」「(加藤増田とは)今も連絡はとっていない」「メンバーも細かい事の経緯は知らないと思う」という言葉を聞いて、私は絶句した。
先日のブログの内容、そしてあの日届いた動画内での3人の表情の答え合わせがそこにはあった。


NEWSはこれまで、多くのメンバーが脱退してきたグループだ。
近年こそそのことをネタにしていた節もあったが、実際彼らが過去に猛烈な苦悩を抱えていたことをファンは知っている。
だからこそ、その苦しみが痛いほどに分かるはずの彼が、同じような、いやそれ以上の行為をメンバーに対して行っていることが理解できなかった。
「この4人で幸せになりたい」と泣きながら話していたメンバーに対して、このような仕打ちを為していることが信じられなかった。


もう少し、メンバーの心を思いやってほしかった。
「大切な話は面と向かい合ってしたい」と会見で話していたけれど、ならば自分のことをずっと守ってきたという大切な仲間とも顔を突き合わせて、お互いに納得がいくまで話し合ってほしかった。
会見の舞台裏で「メンバー見てくれてるかな」と言っていたけれど、メディアや一般人に事の経緯を説明する前に、まずは一番身近な存在であるはずのメンバーと話をしていてほしかった。
私が大好きな3人に、あんな顔をさせないでほしかった。

本人によると、今でも加藤さんと増田さんとは連絡がついていないらしい。






会見が終わった直後、私は「もう無理だ」と感じた。
と同時に、「これからは3人のNEWSを全力で応援する!ありがとう手越くん!さようなら!」と、どこか晴れやかな気持ちになっていた。
これからは手越くんのことは陰ながら応援していく、と不思議と心が決まっていた。 


けれど、会見後に始まったOPENRECの配信を見て、私はまた心がぐちゃぐちゃになっていくのを感じていた。

配信の中で、手越くんは
「NEWSが大好き」
「3人が大好き」
「いつかまた4人でSTORYがやりたい」
「未練があるとしたら絶対的にNEWS」
と、繰り返し話していた。


少し涙目にも見える表情でそう語る手越くんを見て、私は「ふざけるな」と、心底腹が立った。
NEWSへの愛や思い出を語る彼の姿に喜んでいるファンのことが、まるで理解できなかった。
自分の夢のために、一方的に辞めた側がそれを言うのか、と混乱しきっている頭で思った。


自分の夢のためにSTORYのこともグループのこともメンバーのことも放り出したのに、今更未練なんて語ってほしくなかった。
夢に向かって走り出すと一度決めたなら、後ろなど振り向かずに走り抜いてほしかった。
どの口がそれを言うのか。
もう4人のSTORYは終わったというのに。
それを終わらせたのは、他でもないあなただと言うのに。

未練をタラタラと語る彼に猛烈に腹が立って、それと同時に彼の語るNEWSへの愛が本物であることも痛いくらいに伝わってきて、怒りなのか哀しみなのか悔しさなのか分からない感情が胸中にぐるぐると渦巻いて、
私は深夜2時まで続いたその配信を見ながら、彼が退所して以来初めて泣いた。







私はNEWSの手越祐也くんが大好きだった。


彼の天使のような笑顔が、伸びやかな歌声が、ひたむきな性格が好きだった。
彼は、私の太陽だった。



けれど、今は正直彼のことを素直に応援することはできない。

YouTubeSNSでNEWSのことを語る彼の姿は、私が大好きだった彼とは違う人物のように感じてしまうのだ。
自分が現在進行系で再び苦労を強いているのに「NEWSは一番苦労したグループ」などとグループのことを語ってほしくなかったし、今の猪突猛進に突き進む彼は、心の整理がつかないファンの気持ちを置いてけぼりにしているように私の目には映ってしまった。
勝手に好きになって勝手に腹を立てて勝手に離れようとしていることは分かっているし、自由に生きる、がモットーの彼に悪気がないことは分かっている。 


けれど、
私は3人にあんな顔をさせた彼を、
STORYに傷をつけて最悪な形で出ていった彼を、
立つ鳥跡を濁しまくってNEWSを辞めていった彼を、
どうしても許すことができない。 
事務所は一応円満退所だったかもしれないけど(弁護士まで立てた退所の何が「円満」?という感じだが)、グループは円満脱退ではなかったと私は思っている。

現在の彼が語る「初期から応援してくれるファン」「大切なファン」から、どうやら私は転げ落ちてしまったようだ。




あなたの夢を応援できなくて、ごめんなさい。

私はこれからは、NEWSを守ると宣誓してくれた3人の側で、NEWSの夢を見続けようと思います。
「先にあるものが美しいと信じて荒野を進む」と言ってくれた彼の背中に、全力で着いていきたいと思います。
ただ一人の相方だった彼からの、「これからは、ありがとうとごめんねを言える人になってください」という最後の言葉が届いたかどうかは、分からないけど。
あなたは、あなたをこれからも応援してくれるファンと、幸せになってください。


これまで沢山の幸せをありがとう。
あなたのファンでいられて幸せでした。
4人のNEWSが、心から大好きでした。





【追記】
『AVALANCHE〜雪崩〜』読みました。
NEWSとの大切な思い出をぐちゃぐちゃに踏み躙られたような、そんな感覚に私はなりました。
今もNEWSとして舞台に立っている3人がいることを忘れずにいて欲しかったです。
今までありがとう。

『できることならスティードで』超私的感想Part1

 

 

エッセイとは、人間の価値観や思考を最も顕著に視覚化できる手段だと思う。

自身の経験したことや感じたことを赤裸々に語る、まさに自己開示の結晶こそがエッセイであり、その文字の羅列は読者に著者の心情をじわじわと、如実に伝えてくる。

 

 

2020年3月6日、加藤シゲアキの初のエッセイ集『できることならスティードで』が発売された。

 

できることならスティードで

できることならスティードで

 

 

これは著者が文芸誌「小説トリッパ―」2016年春号~同誌2019年冬号まで連載していたエッセイに掌編小説三篇を加えて書籍化したもので、著者初となるエッセイ集ということもあり、ファンの間では発売を待ちわびる声が多数挙がっていた。

 

かくいう私も、そうしたファンの一人だった。

私はNEWSもといそのメンバーである加藤シゲアキのファンであり、アイドル業と並行して作家業を営む彼が創りだす作品群に毎度心踊らされている身である。

 

彼は人々に夢を与えるアイドルという身でありながら、私たち一般人にどこか不思議な親しみやすさを感じさせる。

自身の抱える悩みや葛藤をファンにあけすけに語り、またファンの語る悩みに「分かるよ」と共感する。日常的に数多の女性たちから歓声を浴びる特殊な立場でありながら、私たちのいちばん身近にいてくれているような感覚を覚えさせる。彼は「あちら側」の人間であるはずなのに、妄信的に好きな何かを追うことで生かされている「こちら側」の気持ちを理解してくれているような、そんな感覚。

彼は少し、変わっているアイドルだと思う。

 

そんな彼が自身の経験を基にその想いを語るエッセイは、連載時読んでいても非常に楽しいものだった。

彼の脳内を直接覗いている、と言うのが一番正しいかもしれない。

彼が経験し、感じ、創造したことの共有を許されたようで、読めば読むほど彼のことを知り、理解することができるようで、ページを繰る度に私の心は高鳴った。

 

本作は、今を生きるひとりの人間・加藤シゲアキの思考回路や価値観が非常に濃く現れているものだった。そして、彼が曝け出す彼自身が、まるで私自身に対して「お前はどう考えるんだ」と語り掛けてくるような作品でもあった。

 

 

 

Trip1 大阪

本作は「旅」をテーマとしたエッセイ集であり、作中には著者の様々な旅の経験が記される。

この章では、著者が共演者の舞台を観劇するために大阪まで足を運んだ経験が描かれる。オタク風に言えば「遠征」である。自担が遠征に行った時の様子を事細かに知ることができる加藤担は、やっぱりアイドルファンの中でもちょっと特殊なのではないだろうか、と思う。

 

娼婦ならぬ娼夫が主人公のエロティックなテーマの舞台を鑑賞した後に焼き肉屋へと訪れた著者が、「ホルモンの持つ特有のいやらしさ」に心奪われる官能的な描写が非常に独特で面白いものだったので、是非実際に手にとって読んでみて欲しい(というか、焼き肉を食べる時にこんなことを考えているのかと思うと、やっぱりこの人はちょっと変わっているなと思った)。

著者の他作品を読んだ際にも感じたが、彼は食べ物を官能的に描くのが上手い。少なくとも、私はミノやシマチョウを「禁忌的」だと表現することはしないだろう。エロ・グロ・ナンセンスな文章が好きな私にとって、この焼き肉の描写は非常に刺さるものだった。食は性と密接な関係にある、という言説を聞いたことがあるような気もする。

 

大阪から東京へと帰る新幹線内で、著者は二人の芸姑とその師範とおぼしき女性と遭遇する。彼女らの可憐かつ色っぽい魅力を引き出す赤と白のコントラストが美しい化粧を目の当たりにした著者は、数日後自身もテレビ番組で芸姑に扮することとなるのだが、そこで著者は「化粧」の漢字のつくりや起源を思い起こす。

著者は仕事柄、化粧を自身に施す機会が同年代の男性に比べ圧倒的に多い。著者は「芸能の仕事を始めた小学六年生の頃からメイクを好んでお願いしていた」という。

メイクをしてみるともっと内面的な、自分が自分でないものになれる、憑依のような、確かに霊的な感覚があった。

その感覚は今でも変わらない。もともと引っ込み思案の自分が堂々と人前に立てるのも、少なからずメイクのおかげだ。化粧はあなどれないほど内面に変化をもたらす。日本人がハロウィンではしゃぐのはそういった感覚に由来するのではないだろうか。〔24頁〕

そして、著者は芸姑姿に扮した自身を見て、ふとミルクレープを思い浮かべる。幾重にも重なった層の下には皮膚があり、筋膜があり、筋肉があり、そして内臓(ホルモン)がある。化粧で自身を覆うことで、自分ではない誰かになったり、自分をより自分らしく見せたりする。そして、そうした表層の下に日々積み重ねた土台があってこそ、上質な上層がつくり出され、その上に重ねた化粧が人の美しさを際立たせる役割を担ってくる。

 

自分自身を外面から内側へとめくっていく作業は痛く苦しいものだと、著者は語っている。そして、その作業は書く行為そのものであるとも。

「自分の見せたくない部分を見つけて刺激して、お客様に提供する」。

私が今手にしている本は、彼のそうした痛く苦しい作業の末に生まれた結晶である。

 

ここ数年彼を応援してきて、彼は恐らくややプライドが高いひとなのではないか、と感じている。

自分の考え方や創り出すものにそこそこ自信があって、けれど持ち前の自意識の高さや過去の挫折経験などからか、「こんなもので本当に喜んでくれるのだろうか」「僕のような者が……」「自分みたいな人間が……」等のネガティブな思考を零すこともある。

そんな彼が、店員に「サラミトッピングするんだ」と思われたくなくてピザのデリバリーを注文することができないような彼が、プライベートで「メンバーカラーを意識している」と思われたくなくて緑色の私物を持つことを避けるような彼が、ファンと遭遇した時に「これ買ってるんだ」と思われたくなくて咄嗟に買い物かごを隠してしまうような彼が、

自分の内面をさらけ出し、本当は「隠しておきたいこと」や「知られたくないこと」を文章を通して私たちファンに赤裸々に伝えてくれる。

 

彼は自意識が高く、少々面倒で人間くさい性格をしている(褒めてます)一方で、一度ステージに上がるとキラキラとした笑顔を浮かべながら私たちファンに夢のようなパフォーマンスを届ける。

コンサートの時の、普段は付けないピアスを二つ左耳に光らせ、投げキッスや「愛してる」といった愛の言葉を囁く等、普段なら絶対にとらないような言動をとる“アイドルモード”の彼は、本人の言う通り化粧によって変身を遂げた彼の姿でもあるのだろう。

芸能人には、所謂表の顔と裏の顔がある人もそこそこいるらしい。

しかし、彼はあくまで素の自分を曝け出すことで、自身のファンと繋がろうとしているのだという。

 

彼の持つ様々な顔は全て素の「加藤シゲアキ」であり、私はそんな人見知りで、小難しくて、オタク気質で、ちょっと面倒な性格で、ステージ上ではキラキラとした笑顔を振りまく、「アイドルらしいのにアイドルらしくない」彼のことが好きだ。

本エッセイを読んで改めて、そんな彼の内面を覗くことを許されていることを嬉しく思った。

そして、彼が開いてくれる彼自身に対して、私も相応の覚悟を持って真摯に、正面から、時には自分自身を省みながら、真っ直ぐに向き合っていきたいと思わされた。

 

 

彼のような人でさえ化粧に励まされることがあるということを知ったことで、私自身も何だか毎日のメイクをこれからより楽しめる気がする。

 

 

Trip3 肉体

「肉体」と「旅」を結び付けた本章には、自分に足りないところをなんとか補おうともがく著者の性格が強く表れていたように思う。

 

世の中には天才タイプと秀才タイプがいるというが、彼は恐らく後者のほうだろうし、彼のファンの多くがそう答えるのではないだろうか。

そもそも僕自身は身体的コンプレックスが強かった。人より身体能力が秀でたことはなく、技術も低いという自覚がある。しかし、だからこそ頭を使って身体づくりに励まなければ、歌やダンス、芝居などのあらゆる芸事に対応できる肉体に近づくことはできない。〔48頁〕

彼は自分自身に「何が足りないのか」ということを理解していて、その上で努力で差を埋めるためにとことん励もうとする。

 

例えば、運動能力。彼はよくバラエティ番組でその運動神経の悪さをいじられているし、実際本当に運動が苦手なんだろうな、とも思う。NEWSのメンバーが「ボール取るだけで(運動神経が悪いことが)バレる人っているよね」とラジオで言っていたのを聞いたことがあるが、彼はまさしくその類だろう。

事実バレーボールをすればアタックを打とうとする手は空をかくわ、レシーブは腰が引けている上に腕を上に振っているだけだわ、挙げ句の果てにはボールが顔面に激突するわで、一応経験者である私から言わせてもらうと正直全くなっていない。他にもバスケットボールに思いきり頭をぶつけたり、圧倒的スピードの遅さのクロールを披露したりと、ジャニーズらしからぬその運動神経のなさは「美貌と文才の代わりに神から運動神経を奪われた男」と称されている。

 

しかし、引用部分で本人も述べているように、仕事柄運動能力が求められる場面は他の職業と比べて多いだろう。「僕運動苦手なんで」と言ってダンスやアクションシーンを回避することなどできない。

実際、私が応援するアイドルたちも皆陰で血の滲むような努力をした上で、笑顔でステージの上に立っているのだろう。

 

その中でも、彼は未知のモノに対しての飽くなき探求心や好奇心、そしてそれを自身のモノにしようとする貪欲さが一際強いと思う。それは彼の一種の才能であると思うし、実際に得た知識を行動に移し取り込もうとする行動力は随一だということが、本著を読むだけでもよく分かるはずだ。

 

自分に足りない部分に正面から向き合い、それを補うために自身ができることを模索し、実行する。その積み重ねによって現在の彼の多彩な才能が花開いたのだと思うし、私は彼のそんな徹底的に努力できるところが好きだ。

本章で書かれている「自然」「運動」「円環」の三位一体という結論にも、そうした彼の特性がなければ辿り着かなかっただろうし、きっといつか彼が「肉体の旅」を続けていく中で「円環」を体得できる日も来るのだろう。私はその日が、今からとても待ち遠しい。

 

 

Trip4 岡山

このエッセイは、日本文藝家協会選「ベスト・エッセイ2018」に収録された作品でもある。

内容としては著者の祖父が亡くなった時のことを綴っているのだが、この経験が私自身の祖父が亡くなった時のそれと非常に似通っていたことに、初めて読んだときには驚いた。

例えば、亡くなったのは父方の祖父であるということ。生前の祖父は気性の荒い人で、孫でありながらも軽い苦手意識を持っていたこと。そんな祖父が別人のように弱ってしまった姿を見て衝撃を受けたこと。そんな祖父が自身にかけた言葉。そして祖父と祖母が寄り添う姿を見て、うっかり目元を拭ってしまったこと、等々。

 

ここで、少し私自身のことを綴らせてもらう。

私も著者と同じく、感情的で周囲の人々からやや敬遠されがちな祖父のことが少しだけ苦手だった。地元ではそこそこ有名な頑固爺さんだったらしく、孫である私には優しかったものの、自分の意志が絶対だと思っている祖父がほんの少しだけ疎ましかった。

そんな祖父だったから、当時高校生だった私は「一生死なないんじゃないか」と根拠もなく思っていたのだが、生前の血気盛んな様子などなかったかのように、本当に呆気なく死んでしまった。肝臓か何かの病気だったらしいが、詳しいことはあまり知らない。文化祭の準備をしていて訃報の連絡が来た時の第一声は、「え、まじ?」だった。

 

祖父と最期にまともに喋った時のことを、私は鮮明に覚えている。

祖父は病室のベッドに座っていて、「よう来たなあ」と笑顔で言った。ぬるくなった大量のシュークリームを私と弟に無理やり差し出す姿を見て、「なんや、全然いけそうやん」と思った。

しかし、その一週間くらい後に再度お見舞いに行くと、祖父は別人のように横たわって看護師にオムツを交換してもらっていた。集まっていた親戚一同に「孫が来たよ」と言われても何も言葉を発することができないその姿を見て、私は「人はこんなに短期間で弱るものなのか」と物凄い衝撃を受けた。

弱々しい手を握ると温かい手が軽く、本当に軽く私の手を握り返した。疎ましく思っていたはずの祖父の「もうわしは駄目じゃ」「こんな日はもう二度と来んやろなあ」という息のような言葉に、うっかり鼻の奥がツンとする感覚がしたが、家族の前だったのでできるだけ祖父の顔を見ないようにして耐えた。弟は私がその手を離した後も、帰る時までずっと祖父の手を握っていた。

 

死化粧を施した祖父に触れて「死人ってこんなに冷たいんや」とはしゃいだり、お坊さんの唱える独特すぎるお経に笑いを必死に堪えたりと、正直祖父を失った遺族らしからぬテンションで通夜を終えた翌日のことだった。

葬儀はつつがなく進み、最期に棺に参列者でお花を入れる時となった。私は「孫らしいこと全然できなくてごめんね」と書いた手紙とお花一輪を、祖父の顔の横あたりに添えた。活動的だった祖父の葬儀にはたくさんの参列者が来ており、祖父はたちまち色とりどりの花まみれとなっていった。

 

最後に祖母が祖父に近寄り、お花をそっと入れた。葬式屋が「もう蓋閉めてもいいですか?」と問いかけた時、祖母はしばらく無言で祖父の顔をじっと見て、それから数秒後に頷いた。その祖母の後ろ姿が何だかすごく小さく見えて、私はそこで葬儀が始まってから(もっと言えば祖父が亡くなってから)初めて泣きそうになった。

祖母は祖父とお見合い結婚をしてから、自己中心的な祖父の言うことを聞いていつも忙しなく動き回っているイメージが強かった。祖父はあれをやれ、これをやれと祖母に命令し、祖母はそれに文句を言うことなく従う。何だか時代錯誤なそれが私は気に入らなくて、一度祖父に「自分でやれ」と反抗した結果めちゃくちゃに怒られたことがある。

ともあれ、そんな祖父と祖母だったからこそ、祖父との別れを惜しむような祖母のどこか寂しそうな背中に、私は自分が今まで見ることができなかった、長年連れ添った夫婦の絆のようなものを感じてしまった。

 

認知症となり、孫である自身のことは忘れてしまっても祖母のことは覚えている祖父の姿を見て、著者は「生涯を共にした伴侶だけは認識できること」にうっかり感動する。

棺に入った祖父は頬に綿を詰め、死化粧をしていた。今まで見たことないほど穏やかで安らかな表情だった。怒りっぽかった祖父はもうどこにもいなかった。その写真を見たとき、好きではなかったはずの祖父のことが不思議と愛おしくなり、また虚しくなった。〔64頁〕

 

私は、棺の中で人が変わったかのように横たわる祖父の顔が忘れられない。そして、「もっと孫らしく孝行してあげればよかったな」と後悔したことも覚えている。今だってそう感じている。疎ましく思っていたはずの祖父を失って初めて、私は祖父のことがそれなりに好きだったのかもしれない、と思った。

この話を読んで、私は祖父が亡くなった時の記憶を、その時に見た祖母の小さな背中を思い起こした。死人は決して生き返らない。けれど、あの背中を見た時の気持ちを思い出させてくれたこのエッセイに、私は何となく感謝をしたくなった。

 

彼の文章は、とことん「素直」に綴られている。感じたことをそのままに、読者に説教をするわけでもなく、飾らない言葉でありのままの自分を曝け出した文章、と言う言葉がぴったりだと私は思う。

そんな文章だからこそ、読み手の記憶の底から過去の出来事を掘り起こすことができるのだろう。

 

 

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彼の作品を読んでいると、否が応でも「彼も血の通った一人の人間なんだ」ということを思い知らされる。

彼があまりにも恥ずかし気もなくその内面を晒すので、読み手であり彼のことを(ファンではない人と比べると)よく知っている私は、彼の心を想って苦しくなる。ページを繰る手が止まりそうになることもあるし、一度読んだ段落をもう一度はじめから読み直して、そしてやっぱり胸が締め付けられるような気分になることもある。

 

作品の中で語られる彼の仕事の多くを、私はリアルタイムで追ってきた。彼が提供する“アイドル”の彼に、私たちファンは歓喜し酔いしれる。けれど、そんな表の面の裏側には確実に色んな葛藤や挫折・過去の歩みが存在していて、そうした「アイドルではない彼」のことを活字を通して知ることで、彼が「同じ時代を生きている人間」だということを改めて強く実感させられた。

彼の腕を切ると血が流れるということ、彼にも「ベッドの中で泣きそうになって、眠れなくなって朝が来そうな」日があること、そんな当たり前のことを伝えてくるのが本エッセイであったように思う。

 

彼のこころの内を、彼自身の言葉でもって享受することができる私は幸せなのだろうと思うと同時に、本来知り得なかった彼自身の心の揺れまで知ることができてしまうということが、苦しいと感じる時もある。

けれど、彼が自分自身をこちら側に向かって開いてくれる限り、私は彼のなかを覗き続けたいと、そう思うのだ。

 

 

~『できることならスティードで』超私的感想Part2へつづく~