倫理観

ただのアイドルオタクの独り言です。

いつか巡り会える虹の橋で

2020年12月31日、私が世界でいちばん大好きな5人が、別々の道を歩み始めた。




私は今から14年前、小学生だった頃に5人に出会い、そこから何度も彼らに救われてきた。


実家にある馬鹿みたいに大きいコンボ(平成製)にフラゲしたアルバムをセットして、歌詞カードを見ながら5人の歌声に聞き惚れるのが毎年の恒例だった。
毎晩寝る前にはベッドの中でウォークマンに入っている5人の曲を聴いて、幸せな気持ちで眠るのが常だった。

数々のレギュラー番組やドラマ・映画は勿論、毎年発表されるアルバム、そしてそれを引っさげて行われるツアーのために、生きようと思えた。
「死にたいなあ」と思った時も、「今年の嵐のアルバム聴いてないし、ツアーのコンセプトも知らない。生きなきゃ!」と思うことができた。
友達と喧嘩した小学生の時も、部活で仲間外れにされた中学生の時も、受験でナーバスになっていた高校生の時も、そして就活・教育実習・卒論でストレス過多になっていた大学生の時も、私の傍にはいつも嵐がいた。


嵐は、私の人生を何度も救ってくれた。




また、嵐を好きになったことで得たものも数え切れない。
北海道から福岡まで日本全国を遠征した際には、ライブのついでにたくさんの場所を巡った。
そんなことをしているうちに私は日本のことが大好きになり、その結果日本の文化を学ぶことができる学科に進学した。
一緒にライブに行ったことで同じく嵐の大ファンになった母とは、常に嵐やジャニーズの話題を介して盛り上がり、今でも毎日連絡を取り合い二人で旅行に行くくらいにはかなり良好な関係を築いており、嵐が親子の絆を繋げてくれた部分が大いにある。
嵐を好きになって生まれて初めて「何かを熱烈に応援すること」の楽しさに目覚め、他のアイドルグループを推したり、ゲームや漫画などの別の趣味ができたりもした。

嵐は自身の人格形成に間違いなく深く関わっているし、私の人生に最も大きな影響を与えたと言っても全く過言ではない。
というか、紛うことなき事実である。




2019年1月27日17時過ぎの絶望している自分に、「何にも心配することなんてない。だってあの嵐だよ!」と言ってあげたい。
それくらい、活動休止が発表されてからの2年間は、本当に楽しくて幸せな時間だった。
2年間もの猶予を与えてくれたことだけでも優しいのに、彼らは私たちファンに寂しい思いをさせないために、常に努めて明るく振る舞った。
「その瞬間までのカウントダウンにならないように」と、皆で楽しく準備する時間としてコンテンツを作ってくれた。
その他にも、できるだけ多くのファンが会えるようにと実施され約240万人を動員した、50公演にも及ぶドーム公演。FC会員全員に送られた20周年記念グッズやスワロフスキー。嵐を旅する展覧会。嵐の日。アラフェス。Voyage。SNSYouTube。嵐ジオ。最後のライブの紙チケットや銀テープetc...
それらの全てが、彼らの優しい愛に溢れていた。


その上で、彼らは複雑な思いを抱えているファンがたくさんいることも分かっていて、「それでいいんだよ」と言ってくれた。
彼らは、決して相手を否定しない。メンバー間でこれまで一度も諍いが起きていないという所以は、そこにあるのではないかと思う。
5人が好きな人、特定の人だけが好きな人、喜怒哀楽様々な思いを抱えている人。それらの人々をまとめて抱きしめてくれるのが、嵐というグループだった。
大野くんが「4人の人間性があったから今日まで続けてこられた」と、相葉くんが「4人は人としてトップなんだなって」と言っていたように、どこまでもあたたかい5人だった。


こんなにもファン思いなアイドルは日本のどこを探してもいないと、私は思っている。
「この人たちのファンになれてよかった」と、こんなにも心の底から思えるアイドルに出会えた私は幸せだなあ、とも思う。



深夜番組で馬鹿みたいな実験をしたり、メンバー手作りのこれまた馬鹿みたいなすごろくで遊んだり、コンサートのステージ上で缶蹴りをしたりして笑っていた彼ら。
今では天皇陛下の前で奉祝曲を歌うまでの国民的アイドルグループになった彼らだが、それでも根っこの部分では当時の彼らと何も変わっていないと感じられるところが好きだし、大野くん本人もそう言っているのを聞いて、嬉しかった。


何年経っても内側に向いて、お互いを尊敬しあい、補い合い、優しい笑顔を向け合う、そんな5人の関係が大好きだ。
そして、本人たちが誰よりもいちばんの嵐ファンを名乗り、「奇跡の5人」「この5人だから」「“5” is my treasure number.」を繰り返し語るところが大好きだ。



彼らは、決してやすやすとトップアイドルに上り詰めたわけではない。
初めてのドーム公演までの年数は後輩を含める他のグループと比べてもかなり遅かったし、デビューから7年が経っていた2006年時点でも、FCの会員数はたったの15万台だった。
あまりにもCDが売れないから(ジャニーズ事務所オリコン1位絶対主義)レーベル変更という形で実質見捨てられ、異例の握手会を開催したこともあった。
コンサートの席が埋まらないので、後ろのほうに暗幕が張られ、JrやV6等のFCにチケットが配られたこともあった。

2004年の24時間テレビで相葉くんが「みんながいつも言ってるトップになろうって夢絶対叶えようね」という手紙を読んだ時も、嵐にそんなことできるはずない、と鼻で笑われていた。



けれど、彼らは実際に夢を叶えて、トップになってみせた。
それでも謙虚な姿勢を崩さず、「ファンの皆さんが一緒に走ってくれたおかげ」だと言う5人を見ると、夢のその先の景色をこの5人と一緒に見たいと思えた。





昨日のThis is 嵐 LIVEは、まさにこれぞ嵐!というようなコンサートだった。
CGと見まごうような、「再結集」を意味するリユニオンタワーを模したド派手なセットや美しい技巧の数々、そして心から楽しそうに歌い踊る5人。
「私が大好きな嵐」が、存分に楽しめるライブだった。
 

最後の瞬間、しっかりと手を繋いで横に並ぶ5人の姿が本当に眩しくて、大好きだなあ、と改めて思うことができた。 









翔ちゃんへ。
いつも嵐を、4人のことを凛とした姿勢で守ってくれていたあなた。
会見の時、大野くんに向けられた言葉の棘に真っ向から向き合って、怒ってくれてありがとう。
翔ちゃんは最後のライブまで、残酷なくらいに、どんな時だっていつもの綺麗な笑顔でいてくれたね。
裏側では、リーダーの前で自分を取り繕えなくなるくらいに涙を流していたらしいけど。ファンの前では「どんな形になっても、最後まで笑顔でいよう」と言っていた誓いを、あなたは最後の瞬間までずっと守り通そうとしていたんじゃないでしょうか。
それでも耐えきれずに、5人の、本当にいちばん最後の瞬間に溢れた翔ちゃんの涙が、今でも脳裏に焼き付いています。
翔ちゃんは本当に賢くて優しい人だなあと、あなたの紡ぐ言葉を受け取る度に思います。
「必ず見てくれているあなたへ」と、櫻井翔のファンに向けた愛を綴った日々もありましたね。私は「寂しくなったあなた」の一人だけど、翔ちゃんのそういうところが好きだなあと改めて思うことができました。
私が最後に嵐に会った日──2019年11月14日の札幌ドームで、PIKA☆☆NCHI DOUBLEの歌詞を少しだけ弄って「あの時あの場所で、“また”会える、よね!!!!」と手を振ってくれた時のこと、私は一生忘れません。
今では当たり前となった、ジャニーズのラップや大学進学のパイオニアであること。尊敬しているし、誇りに思います。
翔ちゃんが嵐でいる時の、普段とは違うガハハ笑いが大好きです。
「you and I.」「5 and you.」を、繰り返し伝えてくれるところが大好きです。
5×20の歌詞を書き直したあなたの心情を考えると、今でも胸がぎゅっとなるけど。「また胸を張って、僕たちが嵐ですと言えるその時」が来ることを、ずっとずっと待っています。
またTABOO巡査に会える日が来るまで。



相葉ちゃんへ。
メンバーが「相葉くんの悪口を言っている人を見たことがない」と言うように、相葉ちゃんのあたたかい人柄は嵐の持つ優しい雰囲気に必要不可欠なものだったと思うし、私も救われていました。
相葉ちゃんはきっと(あなたに限らずですが)、もし可能ならば今すぐにでも嵐としてもう一度走り出したいと思っているんだろうなあと、なんとなく感じています。
けれど、相葉ちゃんが休止前に何度も私たちに見せてくれた涙が、やりきれないファンのことを救っていた部分もあったと思います。
2004年に「トップになろうって夢絶対叶えようね」「嵐でよかった」と言っていたあなた。その夢が叶って、そして今でも同じように、「嵐でよかった」と心から思ってくれていたことが、私は嬉しくてなりません。
晦日、いつもの元気溌剌な「嵐の相葉雅紀」ではなく、素の相葉雅紀で自分の気持ちを話してくれたこと。泣きながら「あなたたちが嵐のファンで本当によかった」と言ってくれたこと。涙が出るくらい、本当に嬉しかったです。
「僕を除いた4人が、人間としてトップ」だと言っていたけど、当たり前のように相葉ちゃんも含めた5人が嵐で、トップです。
今はまだ心の整理がつかない、と言っていたけれど、あなたが穏やかに時を過ごして、そしていつかまた相葉ちゃんの「もう一度嵐で」という願いが叶うことを、心から願っています。
あなたがいつまでも、あのひまわりみたいな優しい笑顔でいられますように。



にのへ。
常に物事を俯瞰で見て、自然に場をいちばん良い方向へと持っていってくれていたにの。たまに怖くなる時があるくらい、本当に場やメンバーのことをよく見ているなあと思っていました。
「メンバー以外の人は信用していないし、信じる必要もない」と言っていたけれど、どう見ても偏屈なにのが、嵐でいる時だけに見せる柔らかい笑顔が大好きでした。特に、相葉ちゃんを弄っている時の自然な微笑みが大好きでした。
水中ピーマンで頑張りすぎた相葉ちゃんのことを怒ったり、24時間テレビで体調のことで4人に迷惑をかけてるなんて思わなくていい、「それが嵐だから」と相葉ちゃんに言ってくれたり。いつも頑張りすぎるみんなのストッパーになってくれてありがとう。
それまで頑なに心中を語ることを避けてきたにのが、最後の日に、ファンの前でだけ「まだまだ突っ込みたかったし、もっともっといじりたかった」「嵐を取り上げられちゃうような気がして……」という本音を漏らしてくれたこと、とっても嬉しかった。
そして、秋にアメリカで予定していたライブも、北京でのライブも、有観客でのアラフェス公演も、冬のラストツアーも、その他私たちが知らない嵐の最後を彩る数多のプロジェクトが、夢のまま消えてしまったこと。
ファンが最後にもう一度嵐に会うことがついに叶わないまま、活動休止を迎えてしまったこと。
どうしてもやるせなくて、けれど誰も悪くなくて今でも泣きたくなってしまうけど、にのが「それらも含めて嵐の歴史」だと言ってくれたことで、少しだけ救われた気がしています。ありがとう。
あなたは個人の仕事は全て嵐に還元するためにやっている、と常々語っていたけれど、これからは一人の二宮和也としての活躍を楽しみにしています。
そして、「申し訳ない」などと思わずに、どうか幸せになってください。





潤くんへ。
あなたはずっと、「嵐は僕の夢」だと言ってたね。
その夢を叶えるため、嵐のためにロクに眠りもせずに日夜走り回って、時には単身海外に行ったりなんかもして、一人のクリエイターとして最高のエンターテイメントを届けようとしている姿。本当にかっこよかった。
そして、あなたは私たちファンに「一緒に同じ夢を見てもらいたい」と、いつもいつも優しい言葉で寄り添ってくれました。
あなたほど熱く、そしてファン思いな人を、私は他に知りません。
SNSを頻繁に見ているというあなたは、時には心無い言葉も目にしたと思います。あなたの言葉からその片鱗を感じる度に胸が痛んだけれど、でもそんな自分への中傷なんてどこ吹く風といったふうに、ただ嵐のことだけを考えて、昨日までずっと走り続けてくれましたね。
晦日、東京ドームの天井に映し出されたファンからのメッセージを、あなたはずっとずーっと見上げてたね。
「信じられないほどの素晴らしい夢の数々を一緒に見られて幸せだった」と、震える声で懸命に言葉を紡ぐあなたの、キラキラとした表情と我慢できなかった涙を、私は一生忘れません。
潤くんの言うように、これからも壁にぶつかった時は嵐の曲を聴いて、元気を貰おうと思います。
いつでもかっこいい潤くんが、お兄ちゃん達にいじられている時に見せる末っ子らしいかわいい笑顔が、本当に大好きでした。
まずはしばらく、ゆっくり休んでください。また潤くんの輝くような笑顔が見られる日を、私もゆっくりと待っていようと思います。
そして、いつかあなたの言う「夢の続き」ができる日が来ることを、ずっとずっと待ってるね。
誰よりも嵐のことを愛してくれたあなたのことが大好きです。





大野くんへ。
私が人生で初めて好きになった人、と言ったら重いけど、でも事実なんだから仕方がない。
あの時大野くんの歌とダンスに惹かれたから、今の私があります。
大野くんは、昔からずっと自分のファンをとっても大切にしてくれてたね。
コンサートの時、自分のファンのリクエストに必死で応えた後に、「あなたにやったんだよ」と指を指してくれるところが大好きでした。
大野くんの「ファンの子」でいられた14年間は、本当に幸せでした。
普段とは少し違う落ち着いたトーンでの、最後の挨拶。
「今日まで支えてくれて、今日まで守ってくれて、本当にありがとう」と言ってくれたことが、心から嬉しかった。きっと大野くんは自分のファンに傷つけられたこともたくさんあったと思うけど、それでもそう思ってくれているということが、幸せでした。
そして、「では、またね」と言ってくれたこと。これまで「また会える」可能性を思い起こさせるような言葉を一切使ってこなかったあなたが、初めて語った言葉。
涙が溢れました。
今まで私は、その可能性を信じることがあなたを追い詰めることになるんじゃないかなと、ずっと思っていたけど。身勝手だけどその言葉を信じて、これからを生きていこうと思います。

21年もの間、「嵐の大野智」でいてくれて、本当にありがとう。
嵐の番組は自分が出演しているから見たくないけど、メンバーの番組は自分が出ていないから見ると言ったり、本当は人前が苦手で恥ずかしかったり。そんなあなたがこんなにも長い間アイドルでいてくれたから、私の人生は今とっても楽しいものになっています。
「明日からは自分の時間を大切に生きてみる」と言っていたけど、今は何してますか。釣りかな。絵かな。それともマイブームのキャンプかな。
これまで嵐のために、ファンのために、「人のため」に生きてきた人生だったと思うけど、これからはどうか、自分のために生きてください。
私の人生を救ってくれて、幸せにしてくれて、本当にありがとう。
どうか幸せになってください。
これまでもこれからも、ずっとずっと、あなたのことを愛してます。






最後に、これまで言わなかったこと。



本当は、活動休止なんてしてほしくない。
これからもずっとずっと、彼らが40代になっても50代になっても、相葉ちゃんの言う「落ちていく姿」を一緒に見届けたかった。
会場が5大ドームからアリーナになっても通い続けるつもりだったし、実際「アリーナにも体育館にも行こうね!」と、2年前まで母と話していた。
「嵐が去った後」の「虹のかかった美しい空」なんていらない。暴風雨が吹き荒れている場所に、私はずっと立っていたかった。
徐々にその時が近づいてくるにつれて、5人がほんの一瞬だけ寂しそうな表情を見せるようになって。「あなたたちが決めたんだから、そんな顔しないでよ」と思った。でも本人たちが「俺らが決めたんだから寂しがる権利なんかない」と言っているのには、そんなことはない、という相反する気持ちを抱いて。




でも、嵐は最後までとことん私の大好きな、優しくてあたたかくて仲良しな嵐のまま、幕を下ろした。

私も、この大切な思い出を宝箱にしまって、いつかまた大好きな5人に会える日が来ることを、ずっと待っていようと思う。






あの時、5人と出会うことができて、本当に良かった。
5人と一緒に夢を追いかけた日々は、私の人生でいちばんの財産になったし、一生の宝物です。
嵐は、私の人生を素晴らしいものにしてくれました。
いくら伝えても伝えきれないくらいに感謝しています。
本当に、ありがとう。

私にとって最初で最後の、唯一無二のHeroで、トップアイドル。



これからも、ずっとずっと永遠に、5人のことが──嵐のことが大好きです。
世界でいちばん、愛しています。


いつかまた虹の橋で巡り合って、同じ夢が見られる日が来ることを願って。



2021年1月1日





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